== 「富奥」の由来と富奥公民館の生い立ち == [http://tiikijiten.jp/~digibook/tomioku_kyoudo/ 富奥郷土史] ■ 明治22年(1889)の町村施行令によって、この地方も富樫、林、中奥の郷や庄(明治維新前の藩制では組と言われていた)が一つになり、富樫の富と中奥の奥を合わせて「富奥村」が誕生したと言われています。
当時297戸の戸数があって、281戸が農家であった。
(富樫庄の矢作、粟田新保、下新庄、上新庄。林郷の太平寺、位川、下林、三納、藤平田、藤平田新、中林、上林。中奥郷の清金、末松の14部落で構成されました。)

■ 明治41年(1908)頃、当時の村長小林栄太郎氏が教員の優遇施設として住宅を建設し重宝されていたが、大正、昭和と時代が進み、自転車、自動車、バス、電車など交通機関の発達が目覚しく宿泊しての通勤利用が減少してきた。

■ 昭和12年(1937)、太平寺の青年篤農家で農会長の中島栄治氏(後に野々市町長)が教員住宅の建物半分を「聖農修練舎」と名付けて創設、村人のため社会教育の振興、郷土振興運動の促進、公民館運動の推進が行われてきた。
つづいて姉妹施設の「村の家」が造られた。特徴は農村の厚生と農民の修練には「イロリ」を囲んでの家族的な会議が必要と考えられ、「村の家」を造り農家を偲ぶ鯉の吊り手もつくたれた。

■ 昭和16年(1941)、下林出身の志村三次氏が富奥村からの要請を受けて、村の発展状況を知り、私費を提供して公民館施設を寄贈された。名前を「健民館」と名付けられた。
教育、文化、農産業などの研修に活用された。また戦中、戦後の健民館は無医村の人達の健康を考え診療所や中央病院出張所を誘致して喜ばれた。

■ 昭和22年(1947)5月3日、新日本国憲法が施行され、民主的・文化的な人間と社会が造られるようになった。富奥村は、時代の必然的な要求と地域住民の特に青年たちの切実な要請によって、村の社会教育の足場として文化センター(公民館ともよばれていた)が富奥村字中林チ78番地に創設された。青年団、婦人部の活動がめざましい。

■ 昭和24年(1949)、政府が社会教育の重要性を認め、社会教育法を施行した。
わが公民館は、法制定以前の22年に文部次官通牒に従って公民館となっていた。法の精神を尊重して村の振興と住民の幸福を図るため、富奥公民館設置条令および運営規則を制定した。

■ 昭和26年(1954)、文化センターが正式に富奥村公民館として使用することになった。
同11月、全国優良公民館として文部大臣賞を賜っている。
同時に石川県教育委員会からも県下優良公民館として表彰されている。

■ 昭和30年(1955)富奥村と野々市町との合併により、野々市町富奥公民館となる。



== 野々市町富奥公民館の歴史 == {| |- ||昭和12年(1937)||青年実業家 中島栄治氏(後に野々市町長) 聖農修練舎を創設 |- ||  16年(1941)||篤志家 志村三次氏 健民館を寄贈 |- ||           ||(村の教育・文化・農業などの研修館) |- ||  22年(1947)||村の文化センター「公民館」が設立・・・中林チ78番地 |- ||           ||*診療所、中央病院出張所に使用されたり、農繁期には乳幼児の託児所として好評 |- ||  29年(1954)||富奥村公民館として使用再開(青年産業研究会、青年団、青壮年連盟、地域婦人会、体育協会などが使用) |- ||昭和30年(1955)||富奥村と野々市町との合併により、野々市町富奥公民館となる |- ||  31年(1956)||統合野々市中学校が落成 |- ||  32年  ||富奥公民館内に第3保育所が開設 |- ||  同    ||「我が公民館10年史」を富奥公民館が発刊 |- ||  34年  ||第3保育所が中林地区に新築落成 |- ||  35年(1960) ||地区公民館が設置される(野々市町、富奥、郷、押野) |- ||  同    ||合併5周年記念として「町章」が制定される |- ||  36年  ||統合野々市小学校が発足(野々市教場、富奥教場) |- ||  37年  ||中央公民館を設置(野々市公民館内) |- ||  同    ||統合野々市小学校本館が完成・・・授業開始 |- ||  同    ||石川県農事試験場が(中林地区)に落成 |- ||  40年(1965)  ||合併10周年記念式典挙行 |- ||  41年  ||「まめがらの人生」を中島栄治町長が発刊 |- ||  42年  ||役場庁舎(本町2丁目)が落成 |- ||  43年  ||「虫送り」が10年ぶりに復活 |- ||  46年  ||石川県農業短期大学(末松地区)が開校 |- ||  47年  ||「百々鶴荘」県立老人アパート(上林地区)が完成 |- ||  48年  ||「常盤園」社会福祉法人(中林地区)が完成 |- ||  49年  ||野々市中学校が移転新築(三納地区)落成 |- ||  50年(1975)  ||県立明和養護学校(中林地区)が開校 |- ||        ||富奥郷土史」発刊 |- ||  51年   ||「野々市町20年のあゆみ」発刊 |- ||  52年   ||粟田町内会館が落成 |- ||  同     ||中央公民館(本町)が新築落成 |- ||  同     ||矢作公民館が落成 |- ||  53年   ||太平寺会館が落成 |- ||  同     ||新庄町内会館(新庄2丁目)が落成 |- ||  54年   ||新庄町内会館(新庄3丁目)が落成 |- ||  同     ||青竜第二幼稚園(上林地区)が開園 |- ||  同     ||加賀産業道路が開通 |- ||  同      ||末松町内会館が落成 |- ||昭和55年(1980)  ||「野々市町・愛と和の町民憲章」が制定 |- ||  同     ||合併25周年記念式典挙行 |- ||  同     ||町民体育館(下林地区)落成 |- ||  56年   ||下林会館が落成 |- ||  同     ||新庄1丁目集会所が落成 |- ||  57年   ||位川集会所が落成 |- ||  同     ||富陽小学校が開校(中林5丁目地内) |- ||  58年   ||県立野々市明倫高等学校(下林地区)落成 |- ||  59年   ||清金団地会館が落成 |- ||  60年(1985)  ||合併30周年記念式典挙行 |- ||  同     ||藤平田集会所が落成 |- ||  61年   ||押野公民館が移転(押野3丁目地内)落成 |- ||  62年   ||県農事試験場の研修館を借りて、町民研修センター(中林5丁目3番地)が開館 |- ||平成元年(1989)  ||町民研修センターに、富奥公民館が併設された |- ||  2年    ||生涯学習センター(郷公民館)が田尻町地内に落成 |- ||  3年    ||スポーツランド(中林5丁目、藤平地内)に完成 |- ||  同     ||富奥公民館に体育厚生部会が誕生 |- ||  5年    ||富奥公民館敷地の東側に「富奥小学校跡地」「石川県農事試験場跡地」碑の除幕式挙行 |- ||  7年(1995)  ||第2コミュニティ消防センター(中林5丁目地内)完成 |- ||  同     ||合併40周年記念式典挙行 |- ||  10年   ||ラフォーレ末松(会館)が落成 |- ||  11年   ||野々市南交番(藤平地内)が落成 |- ||  12年(2000)  ||上林ふれあい会館が新築落成 |- ||  13年   ||「野々市町総合計画21」が3月議会で議決 |- ||  16年   ||野々市町庁舎が新築移転(三納地区)落成 |- ||  同     ||富奥公民館文化部会発足 |- ||  17年(2005)  ||野々市町新庁舎業務開始 |- ||  同     ||合併50周年記念式典挙行 |}

(野々市町富奥公民館50周年記念号より)
[[category:名称・地名|とみおくのゆらい]]