野々市市(ののいちし)は、石川県のほぼ中央に位置し、交通の要衝にあることから、古くから加賀の中心として栄えてきた。近年は、自然環境と豊かな歴史・文化を継承するとともに都市化を進め、便利で活気ある住みやすい町へと発展している。  2011年(平成23年)11月11日(金)、前年の国勢調査人口が51,885人に確定し、野々市町から野々市市へ市制が施行された。 [http://www.city.nonoichi.lg.jp/kohojoho/phoro.html 写真でみるののいち(市ホームページ)] == 沿革・位置 ==  野々市市の歴史は古く、およそ3,500年前(縄文後期~晩期)の御経塚遺跡や、白鳳時代の金堂を持つ壮大な末松廃寺跡に人々の営みを伺い知ることができる。  中世に入ると林氏・富樫氏など地元の武士が台頭し、特に富樫氏が室町時代以降、守護としてこの地に館を構えたこともあり、加賀国の表舞台となった。その後、江戸時代は北陸道の一宿駅として名をとどめ、明治時代以降は、のどかな農村へと変わり、加賀の中心穀倉地帯を形づくってきた。  この「野々市」という名称には諸説があるが、古くから交通の要衝であったところから人々が集まり、いつしか「市(いち)」が開設されるようになり「野市」と呼ばれ、そこから転靴して「野々市」になった、などの説がある。  地理的には、本州中央部の日本海側に位置し、日本海に突出した能登半島を含む南北約200kmに及ぶ細長い石川県に属し、金沢市の南西に隣接する町である。 == 市域 ==  面積は13.56k㎡で(県域の0.32%)、東西に4.5km、南北に6.7kmの広がりを持っている。これは石川県内でいちばん小さな面積になる。  [http://gm.nono1.jp/modules/map7/stable2.php?op=&lid=619&w=650&h=450&z=13&lat=36.52453591500483&lon=136.6101837158203&mtype=normal&ct=1&cont=1&printicon=1 野々市市役所の位置] {| border="1" cellpadding="2" cellspacing="0" !年!!合併町村名!!面積 |- |昭和30年||野々市町(2.65k㎡)と富奥村(6.12k㎡)が合併||8.77k㎡ |- |昭和31年||郷村の一部(2.66k㎡)を編入合併||11.43k㎡ |- |昭和32年||旧押野村(金沢市)の一部(2.02k㎡)を編入合併||13.45k㎡ |- |平成元年||建設省国土地理院の精査による||13.56k㎡ |} == 地勢 ==  野々市市は、霊峰白山を源とする手取川によってつくられた金沢平野のほぼ中心に位置し、肥沃な土地と豊富な地下水に恵まれ古くから加賀の中心として開けてきた地域である。北部と東部は金沢市に、西部と南部は白山市に隣接する山も海もない平地である。  また、交通の要衝に位置する立地条件等により、人口が急増し、大規模店舗、事業所の進出が促進されている。一方では、土地区画整理事業を早くから施工し、快適な住居環境を目指したまちづくりを進めている。 == 観光・特産 == '''観光'''  野々市じょんからまつり・野菜みこし・椿まつり・重要文化財喜多家・史跡末松廃寺跡・史跡御経塚遺跡・虫送り(富奥地区・御経塚地区・押野地区) '''特産'''  だいこん寿し・かぶら寿し・キウイフルーツ・キウイワイン・和菓子(野々市椿まんじゆう・和同開弥・勧進帳・野々市煎餅) ==人口及び世帯==  国勢調査 各年10月1日現在 {| border="1" cellpadding="2" cellspacing="0" !年!!総数(人)||男性(人)||女性(人)!!世帯数 |- |昭和30年|| 5,846|| 2,529|| 3,317|| 1,015 |- |  35 || 8,758|| 3,687|| 5,071|| 1,580 |- |  40 || 10,981|| 5,075|| 5,906|| 2,311 |- |  45 || 13,598|| 6,847|| 6,751|| 3,385 |- |  50 || 23,757|| 12,903|| 10,854|| 6,957 |- |  55 || 31,817|| 16,845|| 14,972|| 11,188 |- |  60 || 36,080|| 19,082|| 16,998|| 12,680 |- |平成 2年|| 39,769|| 21,191|| 18,578|| 14,835 |- |   7 || 42,945|| 23,075|| 19,870|| 17,422 |- |  12 || 45,581|| 24,388|| 21,193|| 19,217 |- |  17 || 47,977|| 25,255|| 22,722|| 20,992 |} [[ファイル:Kokusei_jinkou.jpg]] ==新町以降の主な歴史 == {| border="1" cellpadding="2" cellspacing="0" !年月日!!できごと |- |昭和30年4月1日||富奥村と合併し、新生野々市町が誕生 |- |昭和31年4月1日||統合野々市中学校発足(11月3日落成) |- |昭和31年9月30日||郷村の一部を編入合併 |- |昭和32年4月10日||旧押野村の一部を編入合併 |- |昭和35年6月15日||町章制定 |- |昭和36年4月1日||統合野々市小学校発足(昭和38年10月28日落成) |- |昭和42年4月24日||役場庁舎新築落成 |- |昭和49年6月19日||町花木に椿を選定、愛と和の都市宣言 |- |昭和52年8月10日||中央公民館新築落成 |- |昭和53年4月1日||御園小学校発足(10月20日落成) |- |昭和55年11月3日||「野々市町愛と和の町民憲章」制定 |- |昭和55年12月6日||町民体育館落成 |- |昭和56年4月1日||菅原小学校発足(5月19日落成) |- |昭和57年4月1日||富陽小学校発足(10月21日落成) |- |昭和59年4月1日||館野小学校、布水中学校発足(5月17日落成) |- |昭和60年5月23日||野々市小学校が中国深せん小学と友好校の締結 |- |昭和61年10月12日||町民野球場完成 |- |昭和63年5月14日||文化会館フォルテ開館 |- |平成元年3月29日||保健センター落成 |- |平成2年2月25日||「東京野々市会」発足 |- |平成2年3月30日||ニュージーランド・ギズボーン市と国際姉妹都市提携締結 |- |平成3年4月10日||スポーツランド落成 |- |平成3年6月20日||町花木「椿」のモニュメントが横宮町の国道157号横宮交差点角に完成し、除幕式挙行 |- |平成3年7月20日||「関西野々市会」発足 |- |平成4年5月19日||ふるさと歴史館落成 |- |平成4年7月18日||スポーツランド屋外プールオープン |- |平成5年3月1日||ふれあい会館落成 |- |平成5年3月22日||野々市デイ・サービスセンター落成 |- |平成7年12月27日||北陸初のコミュニティFM局「えふえむエヌ・ ワン」開局 |- |平成8年11月13日||野々市町ホームページ開設 |- |平成9年4月9日||野々市北口プラザ落成 |- |平成10年5月9日|| 交遊舎落成 |- |平成12年2月1日|| 特別養護老人ホーム「富樫苑」オープン |- |平成13年12月3日||いきがいセンター矢作落成 |- |平成14年3月20日||野々市町防災コミュニティセンター竣工 |- |平成14年10月8日||新庁舎建設工事起工式 |- |平成14年11月||ケーブルテレビサービス開始 |- |平成15年2月17日||給食センター竣工 |- |平成15年3月27日||いきがいセンター御経塚落成 |- |平成15年9月1日||コミュニティパス「のっティ」試験運行開始 |- |平成16年4月1日|| 野々市町白山保育園が開園 |- |平成16年12月1日||野々市町役場新庁舎竣工 |- |平成17年1月1日|| 野々市町役場新庁舎移転に伴い、行政機構改革(5部24課2局)。役場併設施設として情報交流館カメリア開館 |- |平成17年4月23日||野々市町合併50周年記念式典挙行 |- |平成19年2月11日||「野々市町史」完成、町史完成記念式典を開催 |- |平成20年4月1日||役場に市制準備室を設置 |- |平成21年4月1日||野々市町の推計人口が5万人を突破(50,043人。平成17年国勢調査ベース) |- |平成23年11月11日||野々市町から野々市市へ市制施行 |} [[category:野々市市|ののいちし]]