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=== 町の有志を集って徐々に大きく === | === 町の有志を集って徐々に大きく === | ||
「ののいち地域事典」は、野々市市の企画により初期データベース及び情報管理システムを構築し、平成22年2月にインターネット上に公開しました。<br /> | 「ののいち地域事典」は、野々市市の企画により初期データベース及び情報管理システムを構築し、平成22年2月にインターネット上に公開しました。<br /> | ||
- | + | このシステムの管理および今後の情報の追加・修正などの運用は、システムの開発及びデータの構築業務を受託した野々市市情報文化財団が行っています。<br /> | |
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目次 |
野々市の歴史は古く、前田家の加賀百万石が栄える以前、南北朝時代には、富樫氏が守護所を構えた加賀の旧都でした。
しかし、その歴史は現在の市民にあまり知られていません。その理由の一つに、現在の野々市市には富樫氏の栄華を偲ばせる歴史的物証が極めて少ないことが挙げられます。
また、縄文時代から古代の集落跡や古墳などが多く発見され、野々市市周辺には早くから人が住み着き、文化の中心として栄えたことが示されています。
しかし御経塚遺跡や末松廃寺の国指定史跡以外、ほとんどが調査の後埋め戻され、今はその姿を直に目にすることはできません。
これらの目にすることができない歴史的な物証の多くについては、市教育委員会や地区公民館などが、調査研究した数多くの解説書や記録写真を図書として残しています。
これらの図書は、市立図書館などで見ることはできますが、もっと気軽に「野々市情報」として知る方法がないものでしょうか。
そこで野々市市では、歴史・文化など「野々市」に関連する各種の情報を百科事典のように検索・索引できる「ののいち地域事典(以下、地域事典)」をインターネット上に構築することにしました。
インターネット上には、ウィキペディア(wikipedia)という世界中の有志がボランティアで参加し、日々成長し続けている巨大な百科事典があります。これには野々市市やのっティの項目も詳しく掲載されています。
ウィキペィアは、全世界のすべての項目を網羅することを目標とした「汎用百科事典」ですが、地域事典はウィキペディアに対抗しようとするものではなく、文字どおり「地域限定情報事典」として、市民および全国に「野々市らしさ」をより詳しく知ってもらうためのツールとして構築しています。
「ののいち地域事典」は、野々市市の企画により初期データベース及び情報管理システムを構築し、平成22年2月にインターネット上に公開しました。
このシステムの管理および今後の情報の追加・修正などの運用は、システムの開発及びデータの構築業務を受託した野々市市情報文化財団が行っています。
郷土の歴史・文化に興味のある方はぜひ参加してみませんか。パソコンに興味がなくても大丈夫です。地域の言い伝えなどの情報収集、ストーリーづくりおよび編集、ストーリーに関する写真撮影、ページのデザインなどの協力メンバーを募集しています。
詳しくは、野々市町情報文化振興財団事務局まで。
電話 076-227-6201
mail portal@nono1.jp