昭和三〇年(一九五五)
○野々市町、富奥村を廃して新しく野々市町が誕生する。富奥地区の上新庄と下新庄が合併して新庄となる。藤平田新が藤平と改称する。(4・1)○新野々市町長に兵地栄一氏なる。(5・1)○富奥地区の簡易水道が全部落に設置され、文化台所コンクールが行われた。(7・14)○北陸鉄道の松任、金沢間を走っていた松金電車が廃止された。(10・15)○石川県「家の光」大会が富奥農協で開かれた。(11・23)○富奥農協が全国表彰を受ける。(12・15)○富奥農協青壮年連盟が結成される。○今年の稲作は大豊作だった。○機械化農業の先端として町内の農家で耕耘機の導入が一〇〇台を突破した。○統合中学校々舎の建設工事が始まった。
昭和三一年(一九五六)
○野々市農協事務所が改築落成する。(1・24)○町議会議員選挙二二名(3)○統合野々市中学校発足する。野々市・富奥小学校に中学校教場を置く。(4・1)○郷村を廃して野々市町と松任市(旧町)に分村編入する。(9・30)郷地区の東三田市が稲荷、下田中が郷町と改称する。野々市町編入は堀内、田尻、三日市、二日市、徳用、郷町、蓮花寺、柳町、長池。○郷地区編入並びに中学校落成記念式及び事業が行われる。(11・3)野々市中学校々歌制定、校旗樹立される。○野々市公民館郷分館が設置される。○御経塚遺跡の第一次発掘調査はじまる。
昭和三二年(一九五七)
○押野が分市問題で住民投票をする。(3・31)○富奥公民館で町第二保育所を開設する。(4・1)○金沢市より押野、御経塚、野代、押越が野々市町に編入する。(4・10)○野々市町連合壮年産業研究会が結成される。(8・11)○富奥小学校五五周年記念式を挙げる。(10・23)○町の大農業祭開かれる。(11・4)○野々市公民館が県表彰を受ける。(11・5)○中学校体育館が落成する。(11・7)○役場職員組合が結成される。○新農村建設事業が実施される。○富奥農協事務所を新築する。
昭和三三年(一九五八)
○押野、御経塚に保育所を設置する。(4・1)○町壮年産業研究会が会報「野々市農業」を発刊する。(6・1)○適正米価要求大会が開かれる。(6)○野々市町勤労者協議会結成される。(7・9)○野々市農協押野支所が押野に建つ。(8・7)○野々市農協押野支所内に野々市公民館押野分館を併設する。(8・7)○MROテレビ局が押野地内に設置される。(12・1)○各地区に交通安全協会が発足する。○国道八号線完成する。○大日製作所前に延命地蔵の新堂落成する。
昭和三四年(一九五九)
○兵地栄一町長死去される。(1・2)○兵地町長の町葬が執行される。(1・5)○町長選挙で中島栄治氏当選される。(2・17)○町役場富奥出張所が廃止される。(3・31)○太平寺に農業青年研修所新築される。(5・12)○一日市商店街本町二丁目通りにスズラン灯がつけられる。(8・1)○太平寺、三日市に住宅団地はじめてできる。(8)○町立第二保育所が旧富奥村役場跡に建つ。(9・30)○国道一五七号線の改修と舗装工事完成し、本町通りを中央通りと命名する。(10・5)○野々市劇場(映画館)が本町一丁目地内にできる。(10・4)○青年建設班が発足する。(11・1)○町統合青年団発足する。(12・20)○土地改良事業が各地で進められる。○町に清掃車オート三輪車購入する。○学童用通学バス購入する。
昭和三五年(一九六〇)
○中林に酪農共同経営はじまる。(2)○大選挙区制で町議会議員の選挙が行われる。定員一八名(3・25)○町立公民館を地区独立館とする。野々市公民館、富奥公民館、郷公民館、押野公民館(4・1)○合併五周年を記念して町章を制定する。(6・15)○野々市じょんから節保存会が改組され全町一円のものとなる。(7・18)○東和織物KK新工場が県条例適用によって建設される。(7)○北陸線(西金沢-松任)複線開通する。(10)○統合野々市小学校の建設方針きまる。(12)○石川県農業試験場の誘致きまる。(12)
昭和三六年(一九六一)
○末松廃寺跡より銀銭、和銅開珎が高村誠孝氏によって発見される。(3・24)○統合野々市小学校が発足し、野々市、富奥小学校が教場となる。(4・1)○野々市、富奥体協を統合して一本化する。(4)○野々市小学校の新築工事始まる。(7・7)○第一保育所の建設工事始まる。(10・20)○北陸電波高校分教場、金沢工業高等専門学校が旧野々市小学校で開校する。(11・11)○農協婦人部が組識化される。
昭和三七年(一九六二)
○町消防団に日本消防協会より表彰旗を授与される。(2・11)○第一保育所が本町三丁目に新築される。(3・25)○中央公民館設置される。(4・1)○野々市巡査駐在所が部長駐在所に昇格する。(4・16)○一日市の「やさいみこし」がNHKの「私の秘密」に出場する。(5・28)○町連合婦人会が野々市町婦人会となる。(5)○統合小学校が完成する。(9・1)○石川県農業試験場が元富奥小学校跡に建設される。(12)○金沢工専が扇ガ丘に建設される。
昭和三八年(一九六三)
○町長選挙で中島栄治氏再選される。(2・17)○金沢工専が扇ガ丘で開校する。(6・1)○石川県勤労青年学校が野々市公民館で開校する。(7・15)○小学校々歌制定。(11・16)○小学校々旗樹立。(11・26)○小学校体育館新築。(11・28)○第一回町婦人研修会開催される。
昭和三九年(一九六四)
○野々市じょんから節が「ふるさとの民謡」第三集でレコード化する。コロムビヤレコード、村田英雄吹込み。(2・26)○町議会議員選挙行われる。定員一八名。(3・25)○旧野々市地区の町名が変わる。<住居表示による>(5・1)○木村次作氏が町文化功労者として表彰される。(7・1)○東京オリンピック聖火リレー町内の国道八号線を通過する。(9・30)○野々市農協理髪部が本町四丁目に開店する。(10・12)○町水田裏作そ菜立毛共進会開かれる。(10・15)○中学校運動場に実践倫理宏正会寄付の国旗掲揚塔ができる。(10・21)○松任市、美川町、野々市町の組合立し尿処理場が完成する。(10・31)○富樫卿奉賛会が結成される。(11・14)○第一回青年文化祭開く。(12・20)○野々市じょんから節の観光ソノシート作る。○富奥公民館が貯蓄実践地区として大蔵大臣より表彰される。
昭和四〇年(一九六五)
○金沢工業大学が扇ガ丘で誕生する。(1・25)○毎月の一五日を家庭の日と定める。(6・9)○町ではじめて石川郡体育大会が開かれる。(6・18)○町営プールが完成する。(7・1)○町子ども会連合会が結成される。(7・3)○富樫祭りが布市神社で開かれる。(8・15)○三日市で動力稲刈機の実演会が開かれる。(8・18)○全国商工スタンプ野々市支部が発足する。(9・1)○松任、美川、野々市の合同交通安全大会が町役場前で開かれる。(9・25)○町人口が一万人を突破する。(10・1)○町合併一○周年記念式が中学校で挙行される。(11・1)○扇ガ丘幼稚園が本町五丁目に完成した。(11・2)○町内商店の照明コンクールが開かれる。(11・17)○県が野々市山で青少年野外訓練場を設置する。(11・21)○農免道路の建設起工式行われる。(12・12)○営農推進委員会が発足する。○第一四回全国青年大会の郷土芸能部門に町青年団が野々市じょんから踊りで出場する。○金沢原糸織物団地の用地として稲荷地区内の土地が買収された。
昭和四一年(一九六六)
○郷土史家木村次作氏死去される。八四歳(2・28)○町青年団が社会開発青年隊を結成する。(3・20)○石川県立養護学校が太平寺で開校する。(4・1)○野々市自動電話局が開局する。市外局番〇七六二局、市内局番四八局(4・10)○本町の金蘭会が布市神社に馬の銅像を献納する。(4・14)○国鉄野々市駅新設が内定する。(4・15)○町献血推進協議会を結成する。(5・26)○北陸線、野々市駅設置が国鉄本社より正式に承認される。(5・31)○町役場庁舎新築の起工式が行われる。(7・23)○北鉄石川線の高専前駅を移動拡張して、名称も工大前駅となる。(9・15)○末松廃寺跡の緊急発掘調査に着手する。(9・23)○本町通りが駐車禁止の交通規制をしかれる。(10・1)○中島栄治氏『まめがらの人生』発刊される。(10・26)○中学校一〇周年記念式が挙げられる。(11・3)○小学校育友会が県表彰を受ける。(11・20)○NHKテレビの「ふるさとの歌まつり」に野々市じょんから節が出演する。○野々市じょんから踊りが全国農業祭に参加する。
昭和四二年(一九六七)
○町長選挙で中島栄治氏が三選される。(1・24)○米づくり推進町本部が結成される。(1・26)○県農政推進協議会において野菜集団産地育成計画をたて、本町はトマト、大根、白菜、カンランの指定地に定められた。(2)○町文化財に徹通の灰塚、住吉の宮(布市神社)、旧藩の商家喜多家、公孫樹(布市神社)の四点を指定する。(4・11)○役場庁舎が新築落成する。(4・24)○冨樫館跡顕彰碑が石川線工大前駅横に建てられた。(6・1)○金沢バイパス工事が始まる。(6・10)○野々市地区労働組合協議会が結成される。(7・22)○野々市町教育父母会議が再出発する。(7・26)○富奥地区に盆踊りが復活する。(8・7)○新庄で稲刈機の実演が行われる。(8)○御経塚地区が三ケ年計画で農業構造改善事業に着手する。(9・1)○本町地区が結核健康診断で県表彰を受ける。(9・27)○第一九回石川県レクリエーション大会が野々市中学校で開かれる。(9・30)○第一回少年球技大会開かれる。(10・1)○野々市駅の起工式が行われる。(10・6)○野々市中学校が「よい歯モデル校」として県表彰を受ける。(10・8)○本町二丁目(工大前駅)の前に子どもの広場が作くられる。(10・10)○中島栄治氏が第二一回北国文化賞を受ける。(11・3)○野々市小学校が全国健康優良校として表彰される。(11・3)○町消防団が出初式の祝儀全廃をきめる。(12・25)○金沢工大内に益谷記念館と学生会館をたてる。
昭和四三年(一九六八)
○富奥農協が産米品種にホウネンワセを統一する。(2・20)○町議会議員選挙一八名(3・24)野々市駅が開通する。(3・25)○町の工場誘致条例が廃止される。○大和ハウジングが横宮町に開店する。(4・27)○第一回野々市地区労のメーデー開かれる。(5・1)○交通安全推進隊が発足する。(5・10)○農免道路が完成する。(5・19)○富奥地区に「虫送り」が復活する。(7・20)○野々市農協第三倉庫が本町五丁目に建つ。(8・2)○末松廃寺跡の史跡公園化に着手する。(8・20)○野々市小学校育友会が全国表彰を受ける。(8・26)○第三保育所が押野町に新築落成する。(9・30)○額団地線の舗装が完成する。(10・11)○御経塚遺跡の第二次調査をはじめる。(10・14)○金沢バイパス一部開通する。(10・25)○野々市ライオンズクラブ結成される。(10・27)○明治百年展開く。(11・3)○三納出身の歌手、大文字伸の後援会が結成される。(12・2)○明治百年記念事業として町全農家の米一升寄付で農事社跡(住吉町)に記念碑をたてる。(12・15)○小学校の増築工事にかかる。○横宮町に白山麓特産館できる。○就職者アパートが三納地内に完成する。○町紹介のパンフレット作る。○横宮町に白山郷石標がたつ。○金沢バイパス第二期工事(三日市-御経塚)はじまる。○郷公民館に二宮尊徳像がたてられる。(元郷小学校にあったものを区長会が寄付)
昭和四四年(一九六九)
○小学校々舎の増築工事終わる。(1)○町議会が全国町村議長会より優良議会として表彰される。(2・7)○野々市小学校庭に育友会寄贈の「なかよしの像」(米林勝二作)が建立される。(3・11)○末松廃寺跡公園化第二期工事始まる。(4)○本町二丁目~窪線の舗装が完了する。(6)○横宮町に「ちびくろの森」子どもの広場できる。(7・23)○第一九回石川郡体育大会が野々市町で開かれる。(7・29)○農業振興会を農業振興協議会と改める。(8・2)○三年以上勤続の町内会長五名を表彰する。(9・26)○石川県身障者職業訓練校が末松に建設着工する。(10)○町にボーイスカウトが結成され、ボーイスカウト野々市第一団少年隊と称する。(11・3)○町内の農地転用が多く行われる。○金沢市との編入問題が町民の関心を集める。○県立農業短大が末松地内に建設されることになる。○押野公民館が押野保育所の建物をゆずりうけて独立する。○町にグレーダを購入する。○町青年団が全国青年大会「郷土芸能」に野々市じょんからを発表する。
昭和四五年(一九七〇)
○本町の中川清氏が金沢市との合併問題で提言する。(2・7)○第二次町文化財に九点指定する。富樫政親筆の馬の図、前田利長書状、前田利常書状、村御印、宿送人足伝馬之書、御経塚住居跡、富樫館跡、御物石器、農事社跡(3・10)○米林梅子富奥診療所長が『話の小筥』を発刊される(3・20)○富樫卿奉賛会と金沢工大事業部で富樫文献集を発行する。(3・24)○町総合開発懇話会を発足する。(5・29)○土地開発基金条例を制定する。(9・28)○松任市が誕生する。(10・1)○金沢バイパス(藤江-野々市)が開通する。(10・31)○ネパールの結核児童救済の古切手収集を野々市ライオンズクラブが主体となって町ぐるみではじめる。○隣保館保育所が堀内町に建設される。○町総合一〇ヶ年計画が発表される。
昭和四六年(一九七一)
○石川県立農業短期大学が末松地内に開校する。(1・1)○町役場前に石川ヤクルト会社が電気時計を寄贈する。(1・29)○中島栄治氏が町長に四選する。(2・17)○金沢工大付近に民間学生寮、大型アパート出来る。(3・2)○米の生産調整の対策として転作の植木苗を町があっせんする。(3)○河村好一郎氏が県議会議員に当選する。(4・11)○町に歩こう会が誕生する。(5・10)○末松廃寺跡の史跡公園が落成する。(5・30)○標準小作料きまる。(7・1)○富奥農協が団地婦人にイモ掘りを開放する。(8・29)○末松廃寺跡「史跡公園」保存会が末松で結成される。(8)○三笠宮さまが末松廃寺跡をご視察される。(9・7)○県下ではじめて町が環境保全条例を制定する。(9・23)○農免道路の舗装工事がはじまる。(9)○横宮町に金沢生鮮市場できる。(10・1)○第六回全国史跡整備市町村協議会大会が県農業短大で開かれる。(10・20)○野々市小学校増築工事完成する。(10・30)○野々市小学校創立一〇周年記念式を挙げる。(11・20)
昭和四七年(一九七二)
○町議会議員の選挙が行われる。一八名(3・25)○鶴来、野々市、白峰、吉野谷、河内の六組合が合併して石川地区農業共済組合が発足した。(6・1)○町にマイクロバスを購入する。(7・9)○上林地内に県立老人アパート「百々鶴荘」が完成する。(9)○第五保育所が菅原町に落成する。(10・1)○響升市太郎の碑が押野町に完成する。(10・15)○第一回町文化賞を末松廃寺に功績のあった高村誠孝氏がうける。(11・3)○町自治功労者の表彰式が挙行せられる。(11・3)○郷土民俗資料展を開く。(11・3)○末松廃寺跡の史跡公園に管理塔完成する。(12)○農免道路(上林-清金)の西方が銃猟禁止区域に指定される。(12)○都市計画法に基く農地の転用がさかんとなる。
昭和四八年(一九七三)
○冨樫主計女史(富樫晴貞から一二世故富樫国彦氏妻)逝去される。(3・28)○石川郡体育大会に野々市町が総合優勝する。(6・24)○電話料金制度改正される。(6・27)○常盤園が中林地区内に建つ。○中学校育友会が全国表彰をうける。(11・9)
昭和四九年(一九七四)
○第四保育所の増改築なる。御経塚(2)○水槽付消防車「ライオンズ号」を購入する。(2)○県が上林地内の加賀産業道路敷地内の埋蔵文化財を発掘調査する。(4)○町花木に椿を指定する。愛と和の都市宣言。(6・19)○太平寺郵便局が開局する。(7・25)○富奥地区の「虫送り」行事がMROテレビで全国放送する。(9・14)○町人口二万人となる。(9・20)○常陸宮ご夫妻が百々鶴荘、身障者職業訓練校を視察される。(9・25)○日本損害保険協会より消防車一台寄贈される。(10・4)○大規模農道、御経塚-松任相川間が開通する。(11・20)○藤村理平翁の頌徳碑が白山町に移転される。(11・20)
昭和五〇年(一九七五)
○町長選挙で黒保衛氏が当選される。(2・2)○町議会議員補欠選挙で山本正男氏が当選される。(2・2)
野々市町20年のあゆみ