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page=5 :昭和の大改修  「敗戦からの復興はまず食糧から」と農林省が食糧の増産を打ち出すなか、昭和24(1949)年に大日川ダム建設の計画が出された。大日川ダム建設は、農業用水の安定確保と夏期補給を目的としていたので、かんがい用水供給を有効にするため、漏水のひどかった七ケ用水幹線水路及び支線水路の改修が絶対条件でありました。 大日川ダム  着工 昭和35(1960)年  竣工 昭和42(1967)年  有効貯水量 2,390万t  昭和40(1965)年より国営附帯県営手取川右岸土地改良事業に着工し支線水路の改修に取り組み、昭和57(1982)年にすべての水路改修が完了しました。  水路延長140km、総工費53億円に及んだこの昭和の大改修によって、①手取川が増水しても取水施設の災害を受けなくなった。②用水路の直線化により通水時間が短くなり、流水上の障害物がなくなった。③本流・支流の漏水による損失19.21tが防止された。④河川の淀みがなくなり、土砂の堆積等が少なくなり、毎年3月に行われる川刈り作業等の夫役が大幅に軽減された。⑤水門が整備されたため配水・分水の操作が能率的に行え、番水をしなくてもよくなった。 手取川ダム  着工 昭和49(1974)年  竣工 昭和55(1980)年  有効貯水量 19,000万t 米の生産調整と農地の減少  七ケ用水は、鶴来町・野々市町・松任市・川北町のほぼ全域と金沢市の一部の平野を流域として、豊かな水を送りながら、地域の文化や人々の生活を支えてきました。土地改良区への組織変更当時に7,300haの田圃が現在5,154haに減少しています。終戦後「食糧増産!」が叫ばれていましたが、昭和45(1960)年から始まった「米の生産調整」等により農業情勢が厳しくなってきました。そして、県都金沢市に隣接しているという立地条件から、住宅地・工業用地・商業用地として農地が転用され、また、経済の成長に伴い、農村の労働力が流出し、専業農家が減り、兼業農家が増加しました。最近では、土地持ち非農家が増加、そして農地の集積が進み大型農家の進出によって、用水の利用体系も変化してきています。
page=5 :平成の大改修に向けて  「明治の大改修」「昭和の大改修」と「大日川ダム・手取川ダムの建設」等の事業によって安定した農業用水を確保し、維持管理を行ってきましたが、用水路も改修以後30~40年以上経過し、老朽化も著しいことや、近年の都市化において、工場用地、宅地、商業用地から排水される雨水の農業用水への流入量が増加し、溢水被害が発生するなどから、現在「平成の大改修」として改修事業に取り組んでいるところであります。また、環境、景観に配慮した親水護岸に改修するとともに、管理道路を整備し、水路の保全管理やサイクリングロード、遊歩道として活用するほか、親しみのある水辺公園として整備し、地域住民のふれあいの場となっています。  また、市街地等の溢水対策としての水路改修を施行していますが排水機能を高める工事として農家、土地改良区だけが負担をすることは困難であり、農業用水の持っている多面的機能から管内の自治体からも負担をしていただいています。               石川平野排水対策促進協議会 平成9年7月2日設立 七ケ用水発電所  県営かんがい排水事業の2号幹線改修にあたり、落差を利用した小水力発電所を建設することになりました。名称は「七ケ用水発電所」。農業水利費の低減を図るため、土地改良施設の操作に必要な電力を供給することを目的とした自家用発電所であります。  場所は川北町中島地内の1号分水口下流の2号幹線水路で、最大15㎡/sを導水し、最大出力630kwを発電する環境にやさしい流れ込み式発電所であります。  運転開始平成16年4月