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page=14 :ら千年の昔、その祖忠頼が加賀の国司に任ぜられた。以来富樫氏はこの地に住み、伏見川流域周辺を基盤に勢力を広げ、加賀の代表的武士団に成長した。康平二年(一〇六三)家国が野々市に館を築き、富樫介を称した。南北朝時代では、功績により高家が足利尊氏から加賀の守護職に任ぜられ、加賀の要衝であった野々市に守護所を置き、加賀の守護大名として繁栄した。しかし、長享二年(一四八八)の一向一揆による政親の死後富樫氏は、一揆に襲われ晴貞が死去して滅亡するまでの約八十年間、なお野々市にあって政務をつかさどったのである。その後天正十一年(一五八三)前田利家が金沢へ入り、以後加賀の中心は金沢に移った。  藩政時代は、北陸道の一宿駅として、