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page=18 :農業賞を受賞した七八園芸組合もこの修了者の結束から生まれたものである。
また昭和三十五年に国の水田酪農経営モデル地区に指定され、乳牛の飼育農家二十六戸、飼育頭数は百頭に達した。中でも中林地区の青壮年による、酪農の共同経営は新しい酪農経営として注目を集めた。
この間農業技術の急速な発展は、農業の様相を一変した。稲作の機械化・省力化の進展にともない、労力に余裕が出来ると農外収入を求め、兼業化するようになった。
(二) 学園都市構想 - 幼稚園から大学まで -
農業振興を核に商工業を発展させ、町民の暮らしを豊かにするという町の構想は、イザナギ景気といわれた、日本経済の高度成長等の社会情勢の変化にともなって、大きくかわった。
昭和四十五年に町全域が、金沢都市計画区域になり、市街化区域と、市街化調整区域が設定された。
この年代に金沢高等工業専門学校が開校、金沢工業大学及び県立農業短期大学が開学し、扇が丘幼稚園が開園する等、ここに幼稚園から大学までの教育の流れが出来上がった。
こうした状況の中で、町総合開発十か年計画が策定され、文化発進の基地としての学園都市構想が、町の新しい方向として表面化した。
これ以後は各地で土地区画整理事業が行なわれるようになり、一段と都市化が進展しはじめた。これにともなう住宅団地の急増は、小・中学校校舎の不足をきたし、数度のプレハブ