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page=22 :恩徳碑 (太平寺二丁目 白山神社) 水毛生伊余門は文化十二年、野々市村に生まれる。安政の頃から村の周辺に未開墾の原野や雑木林が広がっているのに目をつけ、私費を投じて農地を開き、村民に耕作させた。その足跡は野々市村のみならず、太平寺村にも及んだ。明治十二年、その遺徳を偲び太平寺の村人が建てたものである。 恩徳碑 <碑文> 夫興利而不望其報士君子尚且難之况於農商乎農商而有此行可不謂之君 子也加賀國石川郡太平寺村有官林以其樹蔭頗妨耕稼方藩政之曰村民請 開墾以爲田明治二年得允時村民貧弱不能支費以爲憂會野々市驛農有水 毛生伊余門者性任侠富于財憫村民如此奮然任開墾之事不出一年而功成 以得良田二千歩許伊余門乃村民曰國法開墾者爲地主吾今當爲地主然憫 汝等之窮故以地與汝宜歳歳耨蒋報余十年間以米三石村民欣躍曰不唯命 之従今茲四月村民思其恩徳欲建碑以紀其事来請文余ゝ嘉其義擧有似君 子故爲銘 以贊之銘曰     太平寺原  有樹榛ゝ   一朝斬伐     田疇成鱗  其恩其徳  永矢弗ケン   明治十二年四月               石川県第一師範學校教諭 永山平太撰                石川県士族 岸秀實書 開墾地  太平寺村   棟取・世話人(略) (碑文の解読は六八頁)