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page=33 :中島栄治先生頌徳之碑
<碑文>
中島栄治氏は 風貌豊かにして高潔 夙に畏敬の人である
昭和十四年若冠三十六歳にして旧富奥村長に就任され 町村合併後の昭和三十四年から四期十六年間新生野々市町長の要職に在り「学園都市づくり」を町政発展の目標とし「愛と和」の理念を掲げてその具現化に卓越した手腕を発揮された
昭和三十六年 先ず 統合の小中学校を完成し新町民意識の一体化をはかり 同時に私学高等教育機関の誘致に努力され 翌三十七年金沢工業高等専学校を 同四十年に金沢工業大学および同大学附属扇が丘幼稚園を
また翌四十一年から五十年に亘り石川県立農業短期大学 同養護学校 同職業訓練校等々の膨大なる学校群を設置開学せしめられた
即ち 町政十五年にして「幼稚園から大学まで」という理想の所信であった教育振興の施策を名実共にゆるぎなき文教都市に完遂された業績はまことに偉大である
お蔭をもってわが金沢工業大学園はこの優れた環境と町民の理解を基盤として現在八学科六千六百余名を擁し 博士課程を有する大学院大学として今や日本私学界に誇る工科系単科大学に成長した
この雄大な「地の理」こそ本学園の草創期に寄与された中島栄治町長の先覚的な教育信条の賜ものに他ならず いま遠くその高邁なる遺徳を偲び崇敬の念を厚くす
ここに学園創立三十周年を迎えるに当り理事会 関係者相寄りいささか寿像碑の環境を整え永くその功労に報いる
昭和六十二年六月一日
学校法人 金沢工業大学
理事長 黒田 壽二