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page=65 :粟田 墓地の沿革碑 (粟田五丁目墓地) 墓地の由来 <碑文>  粟田は明治四十四年から大正四年の間に耕地整理が施行され、その際数箇所に在りし墓地を無常堂と共にこの墓地西方百米の旧地番、二百弐十弐番、参百十四番の位置に面積百五十五坪をもって統合され、以来七十有余年、粟田新保在所の祖先が永眠する地として今日に至った。しかし、この度石川県農業試験場移転に伴い、津田駒工業粟田工場が建設されることから移転の己むなきに至る。祖先の墳墓を移転するが如きは何人も好まざるところであるが、町の将来とこの地域の発展を思い、関係各位の総意に基ずき移転を決する。もとより幾多の困難があったものの石川県、野々市町、津田駒工業株式会社、地元関係者の深い理解と協力、町を愛する心と祖先崇敬の念によりここに墓地の実現をみた。南に霊峰白山を仰ぎ、東に倉ケ嶽から流れ出ずる木呂川の瀬音を聞き、西に縄文、奈良時代の古墳を有する古来の地に祖先安住のところを得て願わくば祖先の御霊安らかなることを祈り奉る。 合掌 平成元年十弐月十七日 墓地委員会