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page=69 :<脇碑文> 富樫氏由来之碑  富樫氏の始祖は鎮守府将軍藤原利仁であり、曽孫加賀介忠頼が永延元年(九八七)加賀の国司に任ぜられ、この国に住してその基礎を固め、仁政を施し、その子孫は在庁官人として国務を執った。野々市の地に初めて居館を構えたのは、平安後期の富樫介家国の時代という。  以来、富樫氏は伏見川流域周辺を基盤に勢力を拡げ、加賀の代表的武士団に発展した。南北朝・室町期には、富樫介高家らが守護職を歴任し、加賀国の要衝であった野々市に政治支配の拠点である守護所が置かれた。  歌舞伎「勧進帳」で有名な安宅の関守、富樫左衛門尉は、仁、情ある武将として名高く、郷土の民謡「野々市じょんから」も富樫氏の善政を称えて今にうたいつがれている。  長享二年(一四八八)守護政親は一向一揆によって自害し、泰高が守護の地位についた。  野々市は、中世における加賀の政治・経済・文化の中心地として大いに繁栄し、かって当地に所在した大乗寺は、富樫一族の外護により曹洞宗の要地として発展した。  ここに加賀国の名門富樫氏の歴史と伝承を顕彰して、当地ゆかりの家国公の銅像を建立し、その歴史的遺産を永く後世に伝えんとするものである。    昭和六十三年七月吉日