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page=71 :<脇碑文> 頌徳  中島栄治翁は石川県野々市町太平寺の人 本年七十二歳 人となり温厚篤実 夙に長者の風あり 大正九年石川県農学校を卒業し家業の農を継ぐ 然るに昭和改元の頃より農村の疲弊甚だしく前途頗る暗し 翁予ねて私淑するわが国農政の権威石黒忠篤らの指導のもと同憂の青年と共にこれが打開に奮起する 昭和六年若冠二十八歳で富奥村農会長 次いで同十四年富奥村長 更に石川県農山漁村経済更生指導員 同十八年石川県農業会副会長 翌十九年石川県翼賛壮団副団長に推挙選任さる 翁は村長二期中途にしてこれを辞し全県下農山漁村の経済更生と食糧増産に挺身活動する ことに富奥村の農家窮乏打開のため作付技術の改善 耕耘家畜の導入 蔬菜の大量栽培 共同出荷 農産物加工場の新設等を提唱 業績大いに挙がる また聖農修練舎〝村の家″を建設「一村一心」の指標のもと 農民精神の振起と技術革新の中心道場とする 村民これを「中島学校」と称し模範農村富奥建設の原動力となる 戦後公職追放に遭って一切の職を辞するもこれが解除と共に石川県総合開発委員 同農業委員 農地調停委員 富奥村教育委員として再び公職につく富奥村が野々市町と合併なるや野々市町教育委員 同自作農協会長 岡三十四年野々市町長に当選 以来四期十六年間にわたり町勢の発展に尽瘁 金沢工業大学 石川県農業短期大学同養護学校 石川県立農業試験場 各種事業所を誘致 国の指定史跡末松廃寺跡の復元 北陸本線野々市駅 金沢バイパス 加賀産業開発道路 農免道路の新設 教育施設の拡充整備などその業績枚挙に遑なし ために石川郡町村会長 自作農協会北陸地区協議会長 全国史跡整備市町村協議会副会長等公職十指を超ゆ この間北国文化賞始め公私各団体からの表彰数十回に及び 黄綬褒章紺綬褒章についで勲五等双光旭日章を受く 翁が家業を離れて地域と公共に奉仕すること五十年 ここにその不滅の業績を讃えて寿像を建立永くその功を顕彰する 昭和五十年七月吉日 中島栄治翁寿像建設委員会 桜井研峰書