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page=77 :武術師範西村清太郎先生記效碑 君名は清太郎、氏は西村、明治二年石川郡富奥村中林区に生まる。家の世業は農、君資性謹厚忠直、最も義を重んず。年二十に甫めて、農の暇に金沢に赴き、町田半兵衛に従って撃剣、体術、棒、薙刀、鎌、鉄尺の諸技を学ぶ。風雨寒暑少しも懈ず、此如く十有八年、研鑽具至一無く、其の堂奥に入らず。爾来君の名声を聞き、来たりて教えを乞う者、門に相踵す。三十六年中林に演武場を建つ。名曰く武道館。久我侯爵より武道館の書三字を賜る。業を受ける者二百人を下らず。君又鞅公事の職を奉ず。中林区長或いは耕地整理組合会計、或いは産米奨励委員、又産業組合評定委員に撰せられ石川県賞、産米奨励宜しきを得る功により木杯及び金を賜る。大日本武徳会に嘉しく力を致し、武徳会石川県支部創設に木杯を以て賞せらる。大正七年富奥村剣道会を創る。其の師を嘱し、誘って教導し、夜最も勤合也。体育重視の秋、君の如きよき師を得、後進の子弟の幸福其の幾許也。又挿花謡曲を善くし、人其の多能に服す。今ここに門人及び有志あい謀り、碑を建て以て君の朽ちざるを欲し、来たりて余に文を嘱す。のべる所を聞き其の梗概を記す。 大正八年五月 石川県第一師範学校教諭勲八等     畠山顴成撰并書及題額