むかし、清金村に作兵衛という正直な男がいた。神や仏をうやまう心もあつく、村じゅうの人たちからよくすかれておった。

 その年は、近頃にない豊作の年やった。すみきった雲一つない秋空の下を、さわやかな風がわたり、こがねの稲穂は波うたせておった。

 村じゅうがそう出で稲刈りに精を出しておった。

 

 作兵衛もかかあとふたりで、朝早くからいねかりをしておった。さくさく、さくさくとかまの切れも調子よく、どんどん仕事がはかどって、かろうと思うとったところまで、明るいうちに終ってしもうた。

 「ようし、あの小さい田を一まいかりとってしまおう。」

 

 と、作兵衛はかかあといっしょにがんばったが、秋のお日さまはおちるのが早く、もう西の安原あたりの海にしずみかけておった。

 「あと一はかだけじゃ。わりゃ先にうちにもどって、夜さりのままじたくせい。わしゃ、この一はかひとりで刈って帰るさかい。」作兵衛はかかあを帰して刈りつづけた。

 「やれ、やれ、どうにかすんだわい。」

 ほっとした作兵衛は田んぼのあぜに腰をおろした。ほっとしたと同時に、ずい分腹がへったなあと思うた。

 あたりはとっぷりくれ、東の空に月がのぼりはじめ、草むらでコロコロというコウロギの鳴く声がした。

 首にまいていた手ぬぐいでひたいのあせをふきながら何げなく前を流れる小川の方を見た。

 

 「あっ、あれは何じゃっ。」

 水ぎわの草むらにぴかぴかひかるものがある。作兵衛は生れてこの方、こんなあやしく光るものを見たことがなかった。心ぞうのどっきん、どっきんという高鳴りがからだじゅうはしった。

 「いったい何だろう。こんなところでぴかぴかするとはただごとではない。」

 逃げ出したいと思うけれど、作兵衛はやはり正体をたしかめたいと思うた。

 心をしっかり持って、作兵衛はおそるおそる光るものに近づいていった。

 「わしにゃ、神様や仏様がいつでも、ついていなさるから、きっと守ってくださる。」

 そう思いながら、よく見ると、光が四方八方にひろがりながらちかちかとかがやいて、じっと見ようとしてもまぶしくて、何から光が出とるのやらよくたしかめられんかった。

 そのうちに何やらこうごうしい気持ちになり、ひとりでに両手を合わせておがんでおった。作兵衛はそれ以上、光るものに近づけず口からは、

 「ありがたや、もったいなや」というつぶやきが出た。

 作兵衛はかかあや村人にこのことをいわにゃならんと思い、急いでうちにむかって走り出した。

 話を聞いたかかあや村の人たちは作兵衛を先頭に立てて、小川の近くの草むらへ光るものを見に急いだ。

 作兵衛がいったとおり、だれの目にも、光りかがやくかたまりが見えた。しかし作兵衛と同じようにまぶしくて、はっきりした形を見たというものがおらんかった。みんなはおどろき、手を合わせてふしおがんだ。

 「もったいない。神様じゃ、あれはまちがいなく神様じゃ。」

 「村へはこんでお堂をつくり、そこへ大切におさめんかいや。」

 「いや、今夜はさわらん方がいい。こんなくらがりで、神様に失礼なことでもしたらたいへんなこっちゃ。あしたん朝、みんなで相談して、どうするか決めまいか。」

 と村の頭の肝煎(きもいり)どんがいうたら、みんなは、それがいいとうなずいた。

 村の人たちは何度も何度も光るものにおじぎをし、手を合わせて帰ってった。

 朝になった。秋晴れじゃった。

 村の人たちは肝煎どんのうちに集まり相談したところ、神様をはこんでくる人は肝煎どんの息子の清太にすること。はこんで来た神様はひとまず肝煎どんのざしきの床の間におくこと。作兵衛が見つけた神様のあったところにみんなでお堂をたてることの三つが決まった。

 十五才の清太はおとうの肝煎やそれに村の人たちにつれられて、ゆんべ神様が光ったところへ向かった。近くを流れる大川の水で体を洗い、おかあの持ってきたまっ白なきものに着がえ、ゆんべ光ったところへ行ってみると、そこにはこぶしぐらいの石のかたまりがポツンとひとつあった。

 清太はうやうやしくその石のかたまりを白紙にのせ、ささげ持った。肝煎どんも作兵衛も村の人たちも一人残らず、地めんにひれふしておがんだ。

 清太が大事にはこんだ神様は、肝煎どんのざしきの床の間に大切におかれた。

 村の人たちは毎日、この神様をおがみに肝煎どんのうちへ列をつくってやってきた。

 「村の守り神じゃ、村じゅうのものどもをいつまでも守ってくだされ。」

 「らい年もたくさん米がとれますよう、神様どうかおたのみもうします。」

 

 秋のとり入れが終わるころには上清金の南の方に、新しい木の香りのするお堂がたてられ、肝煎どんのところからうつされた神様は、大切にまつられた。

 村にはほかに「中宮」「下の宮」というお堂がたてられ、石の神様をまつったお堂を「表宮」とよんだ。

 それから長い年月がたち、田の区切りを正しく直す耕地整理の仕事がはじまった時、三つのお宮をいっしょに合わせたお宮がたてられた。そして「中宮神社」とよばれるようになった。

 

 

郷土の民話・伝説集