ずうっとむかし。
下林の村に吉兵衛(きちべえ)という貧しい百姓(ひゃくしょう)がいた。吉兵衛は下林の村では「小走り」という連絡係みたいな役をしていた。
ある年のこと、家々が雪の中にすっぽりとうずまってしまうほどの大雪になった。久しぶりに青空をみせた今朝は、寒さもきびしく、雪はカチンカチンに凍っていた。
吉兵衛は村の肝煎(きもいり)どんから用事をいいつけられた。
「けさは急ぎの用を言われた。雪がカチンカチンに凍っとるわ。ひとつ近道で行こうかい。」
吉兵衛は、行きたい家目がけてまっすぐに雪の上を歩いて行った。げたばきでも楽に歩くことができた。
いつもにくらべ、ずっと短い時間で村ぜんぶに用をふれてまわった吉兵衛は、何だか歩くのがとても楽しくなり、鼻唄(はなうた)まじりでどんどん歩きはじめた。
家々との軒下(のきした)にさがる一メートルもあるつららを見たり、スズメたちの鳴き声を聞いたりしているうちに村はずれのお宮のうしろにきた。
「あれっ、なんじゃい。」
お宮の森の黒々としたすき間から、白いけむりが、うっすらと立ちのぼっている。
「だれぞがたいたたき火の不しつまつじゃなかろうか。」
森の中に入ってみた。
「こりゃ、おかしい。」
お宮の奥殿のうしろあたりから白いけむりがさかんに立って、どんとつもった雪の中に大きな雪穴がぽっかりとあいていた。
「けむりじゃない、湯気(ゆげ)じゃ。それにしても、これはいったいどうしたことだ。」
吉兵衛は穴の中をのぞきこみ、手をのばしておどろいた。
「あちちち、湯だ。あ、湯がわき出ている。」
とんきょうな大声を出した吉兵衛は、村のみんなに知らせようとかけ出した。
吉兵衛はころがるようにして肝煎どんのところへかけこみ、
「た、たいへんで、ございます。」
肝煎どんも何ごとがおこったのかと、びっくりして、
「どうした、吉兵衛、いったい、何ごとじゃ。」
「出てるんです。お宮のうしろから……」
「おい!吉兵衛、何が出とるんじゃ。おちついていえ。何のことかようわからん。いったい何じゃ。」
吉兵衛は口をぱくぱくし、しきりにお宮の方を指すものだから、肝煎どんは手ぬぐいでほおかぶりし、深ぐつをはいて家を飛び出した。
吉兵衛が走るあとを追った肝煎どんも、お宮のうしろから立ちのぼる湯気を見てびっくりした。大きい雪穴からゆげをどんどんはき出している。
「うん、こりゃどうしたこっちゃ。湯がわき出ているぞ。吉兵衛、こりゃあ、えらいもんを見つけたぞい。この湯はきっと、神様のおさずけじゃわい。」
こういうと肝煎は目をつむって手を合わせた。吉兵衛もそのうしろで同じように手を合わせておがんだ。
「さあ、吉兵衛、村じゅう一軒のこらず、ふれまわってこい。」
肝煎にいわれて、吉兵衛は村じゅうに知らせた。村人たちは、ぞろぞろ、ぞろぞろ、お宮のうしろに集まってきた。
湯をすくって飲んでみると、薬のかぐわしいかおりがした。
「あ、やっぱり、神様のおさずけの湯じゃ。」
村人たちもみんな手を合わせておがんだ。
ふしぎなこの湯は、その後もずっとわきつづけ湯を飲むといらいらした気持ちがたちまちにおさまった。また、病気の高い熱はさがり、年寄りたちの足腰の痛みもなおった。元気なものでも、飲めばますます体がじょうぶになり、美しい女はさらに美しくなった。このために下林の村では病気になる人もなく、村人はみんな長生きをしたという。
それでお宮の名前も「薬師日吉神社」とあらためられた。
その後、どれだけたったのか、ある冬の寒い朝、村人は、とつぜん湯がとまってしまったのを見つけた。
さあ、村じゅう大さわぎになった。どうしてとまったのかいろいろ調べてみると、ある百姓の女房が、この湯で赤ちゃんのおしめ(おむつ)をあらったことがわかった。
「あ、神様がきっと、おいかりになって湯を出ないようにしたのじゃ。」
「もったいないことをしたもんじゃ。」
と口々にいったという。
ごく最近まで、湯のとまった池のあとが残っていたそうである。
郷土の民話・伝説集