むかし、三納の村におさよという娘がいた。色白でかみの毛が黒く、つぶらなひとみのかわいい娘だった。
百姓(ひゃくしょう)のおとうは、なまけもので大酒のみだったから、おさよのうちはいつも貧しいくらしだった。
でも、働きもんのおかあが仕事に精出していたんで、なんとか三人はうえずに生きていた。
おかあは働きすぎて、おさよがまだ乳をのんでいたころ急な病いで死んでしもうた。おかあに死なれてしまうと、おとうは、
「乳のみ子をかかえていては、ひゃくしょう仕事などできんわ。」
といって、ますますなまけものになり、毎日酒ばかりのんでぶらぶらしていた。ところが、どこからつれてきたのか、ある日、新しいおかあをもろた。
新しいおかあは、いじわるで、だんだん大きくなってきたおさよをこき使った。でも、心のやさしいおさよはおかあのいうとおりによく働いた。
やがて、おかあに女の子が生まれた。おかあは自分の子どもをネコのようにかわいがったが、おさよにはつらくあたった。
子守りや水くみ、おしめあらい、まきはこび……まだ遊びたいさかりのおさよの両手はざらざらにあれ、冬にはあかぎれがざっくり口をあけて、赤いみをみせていた。
妹が大きくなるにつれ、おかあのやり方はますますひどくなった。何かというと妹のかたを持ち、おさよをにくんだ。にくしみのあまり、おさよをこのうちから追い出したいと思うようになった。
おさよは母の形見(かたみ)としてたった一つだけもらったかんざしがあった。おさよは悲しい時、大切にしまってあるかんざしをとり出して眺めると、いつも、死んだあのやさしいおかあのまぼろしが現れて、
「おさよ、苦しくても、悲しくても、がんばるんだよ。」と、はげましてくれるのである。おさよにとっては命より大切な品であった。
ある日のこと、そのかんざしを妹が、しまってあるところからだまって持ち出し、自分のかみにさしていたから、おさよは取り返えした。妹は、とられまいとして、とうとう、はげしいけんかになった。
おかあはその声を聞きつけ妹をだきかかえると、まっ赤になってわめきだした。
「こんなうすぎたない安物のかんざしが、そんなに大事なら、さあ、返してやる。さ、やるから持っていけ。そのかわり、そのかんざしを持って出ていけ。どこへでもすきなところへいけ。もう、うちにゃ入れないぞ。」
とうとう、うちを追い出されたおさよは、どこへいくというあてもなく、寒いこがらしの吹く暗い田んぼ道をしくしくなきながら歩いていった。
大切なかんざしをしっかりにぎって、やさしいほんとうのおかあのことを考えながら………
いつの間にか大川べりに来ていた。かれすすきが、こがらしに吹かれて、ざわざわとさわいだ。近くの諏訪(すわ)の森からは、気味の悪いふくろうの声が聞えてくる。
おさよはただ歩きつづけた。泣きづかれ、歩きづかれた自分がいつの間にか大池の岸に立っているのに気づいた。
「毎日、毎日いじめられて生きるよりも、いっそ死んだおかあのところへいきたい。」
月が大池の水面にうつり、風がそこをふきぬけると月のかげもゆらゆらゆれる。
それをじっと見ていると、死んだおかあが「おさよ、おさよ。」と呼んでいるように思われてくるのだった。
「そうだ。やさしいおかあのところへいこう。」
と、決心したおさよは、はいていたわらぞうりをきちんとぬいだ。おかあの形見のかんざしを口にくわえ、両手を合わせると、じっと目をとじた。すると、とじたまぶたのうちに、あのやさしいおかあが、美しくほほえみ、
「おさよか、さあ、早くここへおいで。」と、まねいているのが見えた。
「あ、おかあ、おかあ、さよもそこへいく。おかあ、………」
おさよはさけぶと、おかあに走りよった。おさよの身はざんぶと大池の中へおちこんだ。池の水はなみだち岸によってきて、しゃぼしゃぼとかなしいなき声をたてた。
あくる朝、村人たちはきちんとそろえてぬいであるおさよのぞうりを見つけた。しかし、おさよのからだはいつまでたっても、ういてこなかった。
やがて、妹はなおらない病いにかかり、それを心配したおかあは死んでしもうた。
その後、この池でおよいだ村の子どもが、おぼれ死んだ時、おさよのようにからだがあがらなかったので、村人たちはおそれた。
「これはきっと、あのおさよがこの大池の大蛇(だいじゃ)になって、池の底にすみついているにちがいない。おさよの大蛇がうらみのために大池でおよぐ子どもを池の底へひきずりこんで、のんでしまうにちがいない。」
と、だれも池に近よらなくなった。
長い年月が流れ、やがてこの大池もほせ上がってしまった時、池の底に一本の美しいかんざしを見つけたという。そして、この大池が埋められた今は、そのあとが三納のどのあたりであるかも、だれひとり知る人もない。
郷土の民話・伝説集