むかし、上林村(かんばやしむら)に小三郎(こさぶろう)というじいさまがおった。若いころから大へん神様をうやまう心を持っていて、朝くらいうちから、村のお宮へおまいりをしていた。
にぎやかな村の秋祭りも終わったある日のことだ。じいさまは、朝早く家を出て、金沢にある先祖代々お世話になっているお寺へ出かけた。お寺には報恩講(ほうおんこう)といって、親鸞上人(しんらんしょうにん)さまのご命日におまいりする行事があった。大ぜいの人たちとおまいりした後、じいさまは大へんおちついたよい気持ちになった。
秋ははよう日がくれる、はよう帰らにゃと金沢をあとにした。
「なんまいだー、なんまいだー。」
おねんぶつをとなえながら、道ばたの名もない花を赤い夕日がそめているのを見たり、がんが列をくんでとんでいるのをあおいだりした。
下新庄(しもしんじょう)あたりから、だんだん日がくれかかり、昼はあたたかだったのに急にさむくなり、じいさまのほおにつめたい秋風がひゅうひゅうあたるようになった。
「おお、寒うなってきたのう。はよう、急がにゃ。」
かたをすぼめて、じいさまはひとりつぶやいた。
じいさまのかたには、前とうしろに分けた大きなふろしきづつみが二つぶらさがり、つつみの中には、孫たちの大すきな大きなまんじゅうやお寺で出されたごちそうが入っていた。ばあさまに買ってくるようにたのまれた油あげも入っていた。
ようやく村のはしにあるお宮の森についた。
「やれやれ、やっとついたわい。どれ、きょうも一日ぶじにすごせたわい。ひとつありがとうございますと神様にお礼をいうていかにゃ。」
鳥居(とりい)をくぐり、境内(けいだい)を通って、じいきまは神様をまつってある社(やしろ)に近づいて行った。ぱんぱんとかしわ手をうって、おまいりをしている時何かうしろに人のいるけはいがした。こんな時にだれがいるのだろうと、ふりかえってみた。大きな椎の木の下にだれか立っている。どうも、村の人ではないらしい。
じいさまが近づいて見てびっくりした。じいさまが今まで見たこともない美しい女が立っていたからだ。目もくらむような美しい女だ。みごとな振りそで姿で、やさしくほおえみをうかべて立っとった。
「こんな美しいおかたが、どうして暗いお宮の椎の木の下に……」
じいさんはふしぎに思いたずねようとしたが、なぜかあごががくがくして声が出ない。
何だか、こうごうしくて、ひとりでに腰がひくくなり頭がさがるばかりだった。じいさまはおじぎばかりしながら、おそるおそる後ずさりして帰ろうとした。
とりいをくぐって、一度、女の方をふりかえって見ると、女はそろりそろりと、じいさまのあとをついてくるようだった。
じいさまはむねをどきどきさせて、よく知っている村の道をむちゅうで走ってうちへかけこんだ。うちへ入るとき、うしろをふりかえって見たが、どうやら女はおいつけなかったのか姿は見えんかった。
「おい、今もどったぞい。」
じいさまは家に入ったとたん大声を出した。待ちかねていた孫たちは、みやげのまんじゅうを見て大よろこび、うばい合うようにして食べた。
じいきまは、孫たちがねてから、ばあさやむこさやよめさに、さっきのお宮にいたふしぎな女のことを話した。
「じいさま、金沢で美しいおなごをたくさん見てきたので、おみやさんのおっかさまでも見まちがえたんじゃないけ。お宮さん暗えからな。」
「いやいや、としはとっても、まだこの目はたしかじゃ。何度もたしかめたから、見まちがいじゃねえ。」
「そうか。ふしぎなこっちゃの。そんないい女がどうして、ひとりで暗いお宮におったんかいのう。」
むこさもよめさもふしぎがった。ばあさまは、
「こりゃきっとな。あの椎の木の霊があらわれたのかも知れんな。」
よめさはたずねた。
「ばあさま、椎の木の霊て何や。霊てたましいのこっちゃろ。木にたましいがあるやてそんなことあるがかいね。」
「なんにせ、あの椎の木は千年以上もたった古い木じゃ。むかしから古いもんにはみんな霊が宿るというから、あの木にも神様の霊が宿ってもふしぎはない。」
「それじゃ、その女の人はきっと椎の木の霊なんや。」
この話はすぐに村人たちのうわさにのり、村のしゅうはみんな、
「あの椎の大木は神木(しんぼく)じゃ。神木といやあ、神様の木じゃろ。その神様が美しい女の姿で小三郎じいさまの前へ現われなさったんじゃ、そうにきまっとる。」
と、口々にいうた。
その年のおおとし近くになると、お宮のしめかざりといっしょに、椎の大木にもしめかざりがかけられるようになった。そして、おまいりに来た村人たちはみんな椎の木もうやうやしくおがんでいくようになったという。
椎の木のまわりにはとりいやさかきのかきねもつくられた。
椎の木は長い間にくちはてたが、その根元のわきから出た新しい幹は、今も林郷八幡神社の境内に名木として生き続けている。
郷土の民話・伝説集