むかし、末松に善兵衛(ぜんべえ) という百姓がいた。とても気のやさしい人で、腹を立てたこともなく、いつもにこにこしていたので、みんなから仏の善兵衛と呼ばれとった。善兵衛の畑は末松村の西の方にあって、いろいろな野菜を作っていた。
善兵衛は村の人たちだけではなく、作っている野菜にもやさしいから、大根もにんじんも、ねぎもごぼうも、村一番にそだって秋のとり入れどきが楽しみじゃった。
「どれ、きょうはごぼうをほりに行こうかい。」
朝晩はひえこんで、けさは落ち葉やわらの上に白く初霜がおりていたが、空はすっきり晴れわたっとった。
お宮の森の大きなけやきの木がすっかり葉をおとして、はだかになった細い枝は竹ぼうきをさかさに立てたように
天に向ってのびている。
善兵衛はくわやふんづきを使ってごぼうをほりはじめた。ふんづきというのは、百姓が使うくわみたいな道具じゃが、くわとちごうて、刃先がまっすぐになっておってな、たけのこやごぼうのように根のふかいものをほり出す時に使う道具じゃ。
夏には大きな葉をわがもの顔にひろげていたごぼうの葉は、くしゃくしゃにちじんでしもうとったが、黒い土の中にゃ、よくふとって長くのびたごぼうがおった。
善兵衛はごぼうをおらないように気をつけながら根気よく堀っとった。
「こいつあ、だいぶん長いぞお。まだまだ深こうほらにゃ……」と、ひとりごとをいいながら、ふんづきを力一ぱいサクツと土にさしこんだ時、
ガチンと音がして、手がしびれるほどにはねかえってきた。
「こりゃなんじゃい。この手ごたえじゃと、そうとう大きな石にぶちあたったな。」
善兵衛が、そこから少しはなれたところにつき立てるとやはり、
ガチッと、音がした。
「あれっ。」と思うて、そこらへんをいちめんにふんづきをつき立てた。
ガチッ ガチッ ガチッ
「おや、これはどうしたことかい、どこをさしても石をつく。こりゃあ、とてつもねえ大きな石にぶちあたったわい。」
善兵衛はすっかり土の中の大きな石に心をうばわれてしもうた。
「つき立てたときの広さから見て、どうもこりゃ、むしろ一枚より大きい石のようじゃ。とても、わしひとりの手におえんな。」
いつの間にかお日さまは西にしずみ、あたりはうす暗くひえびえとしてきとった。善兵衛はほったごぼうをたばにしてこもでつつんでのら仕事をしもうことにした。夕はんを食べていても、善兵衛は、自分の畑の大石のことが気になってしゃあない。その夜のうちに村のかしらの肝煎(きもいり)どんのところへ行って、大石のことを話した。
「ふうん、そんなでっけえ石が土の中にあるとはふしぎなことじゃ。あす、わしが行ってじきじきに調べてみることにするわい。」
と肝煎どんがいったので、善兵衛は安心してうちへ帰ってった。
つぎの日、肝煎どんや村のおもだった百姓たちが、やりのほさきのようにするどいねずみさしをもって集まった。
善兵衛の畑へ来て、みんなしてそのあたりをサクリ、サクリとさしてみたら、さすごとに、ガチン、ガチンとかたい石につきあたる手ごたえがあった。
「こりゃ、でかいもんじゃわい。」
「こりゃ、ただの石じゃなかろ。」
「ともかく、ほりだしてみたらどうかいの。」
「というても、肝煎どん、ここにおるもんだけじゃ、手がたりんぞい。」
「そうじゃ、村のもんがぜんぶ出てやらにゃ、だちゃかんやろ。あした、やっかあ。」
肝煎どんはすぐに係の小走にめいれいして、村の人ぜんぶを呼びあつめた。
「総人夫(そうにんぷ)、総人夫じあ、あすの朝、村のもんぜんぶ、善兵衛の畑に集まれえ。」
次の日もとても良い天気じゃった。
肝煎どんの打ちならす人夫だいこの音が、すみ切った空気をふるわせた。
ドドーン ドドーン
末松の村の人ぜんぶがくわやふんづき、もっこなどを持って集まった。肝煎どんの指図で、善兵衛の見つけた大石のほり出し作業が始められた。
まず、善兵衛の畑の作物がぜんぶとり入れられたあと、大石の上の土がほりのけられた。くわやふんづきで深く土をほるもの、その土をもっこにのせてはこぶもの、みんなあせを流してはたらきつづけた。
力を合わせると仕事ははやい。どんどんすすんで、大きな池のような穴ができ、その底に大石が姿を見せた。善兵衛がはじめ思うたとおり、むしろ一枚の大きさよりも大きかった。
ふしぎなことに石のまん中に丸い穴があった。石はこの辺の大川の石とはちごうて、ずっとはなれた金沢を流れる浅野川の上流にある戸室山からとれる石ににとった。
青みをおびた灰色の石やった。
「こんなでっかい石は見たことないぞ。」
「ほんまにむしろ一枚よりでっかいぞ。」
「まん中に丸い穴があいとるのはなんでかな。」
「こりゃあ、神様の石じゃなかろうか。」
「そうじゃ、こんなふしぎな石は、きっと、神様の石じゃわい。」
「とすると、こんな畑においとくのはもったいない。」
「うん。お宮さんにでも持ってってかざらんとばちがあたるわい。」
「肝煎どん、どうも、こりゃ、神様の石じゃ。村じゅうでなわかけてお宮さんへはこぼうかい。」
「うん。わしもこんなふしぎな石は神様の石じゃと思うとる。お宮さんへはこぶのが一ばんいいな。きょうはこんだけでやめて、よなべでなわをなおう。村じゅうでなわをなって、あすも総人夫で引っぱろうかい。」
次の日、どんよりとしたくもり空だった。村じゅうが田畑のしごとを休んで、手に手によんべなった太いなわを持って大石のまわりに集まった。穴の底からななめに土を切り、ぐるぐるまきにしっかりまいたなわに、ひっぱるなわがかけられ、そのなわにもっとたくさんのなわがむすばれた。ひろがったなわはまるで大木の枝のようだった。なわの先に村の人がついているので、遠くから見るとかきの枝に実がなっているように見えた。
肝煎どんの合図で、おとうもおかあも、おじいもおばあも、子どももまごも、みんなで力を合わせてひっぱった。
「ヨーイショ ヨイショ、ヨーイショ ヨイショ。」
すると、大石が少しずつだが動きだした。十メートル引くのに一時間もかかったが、みんな歌をうたって根気よくなわをひいとった。
「ヨーイショ ヨインョ、ヨーイショ ヨイショ。」
お宮の鳥居を通りぬけ、社(やしろ)に向かって右の方にすえおいたころにゃ、もううす暗くなっとった。
その晩のこと、風が出てきたと思うたら、雷がむらさき色のいなずまをはなち、ぴかぴかごろごろとあばれはじめた。と思うたら、こんどはものすごい雨じゃ。その大雨が朝までやまなんだ。
お宮に入った大石は大雨できれいにあらわれて、ますますりっぱな石にみえた。村の人たちは、これは神様の石としてうやまい、その上に腰をかけたり、足でけったりそまつにするもんはだれひとりとしておらなんだ。みんな石の前を通る時には両手を合わせておがんだ。
冬になった。白山が真っ白になり、村にもちらちら雪がきて年もくれていった。除夜の鐘が鳴りひびき、雪がすべてのものを白い衣でつつみこんだ。
元日、まだ暗いうちに、善兵衛はおぜんに、おみき、おさかな、かがみもちをのせて、お宮さんへ初もうでにいった。
善兵衛の先に来たものはだれもいないらしく雪道には足あともない。善兵衛はお宮の鳥居をくぐると、大石の方をながめた。
「ありや、これはどうしたんじゃろ。」
善兵衛は思わず目をこすった。うすぐらい中で大石の上だけ明るくかがやいているのです。
「大石の上に何かのせてあるぞい。」
二、三歩雪の中をふみわけて近づいてよく見ると、
「あれ、これはいったい、どうしたこっちゃ、だれがおそなえしたのか、こんなりっぱな金銀蒔絵(きんぎんまきえ)の、うるしのごぜんに、おいしそうなごちそうが、たくさんもられておる。」
善兵衛はあたりを注意ぶかく見わたした。
「この石のまわりに足あとはぜんぜんないし、ふしぎなこっちゃなあ。やっぱりこりゃ、神様の石じゃからひとりでにごぜんがあらわれたんじゃ。」
うちに帰って、このふしぎなごぜんのことをみんなに話した。
善兵衛のあとにおまいりにきた村の人もこのごぜんを見つけた。たちまち、村じゅうのひょうばんになったが、二日の日におまいりに行った人は、だれもごぜんを見た人はなかった。元日一日だけでごぜんは消えてしもうた。
その後、毎年元日にきまって、大石の上にごぜんがあらわれ、それを見ようととなりの村からもおまいりに来たということや。
いつのころか知らんが、心のいやしい男がごぜんのごちそうが食べたくて、ある年の元日にこっそり盗んだ。うちへ持っていって食べようとしたら、はしをもったとたんにばっとけむりのように消えてしもうたということだ。
それからというものは、元日になっても大石の上にごちそうをのせたごぜんはもうあらわれなんだ。
この大石は、今も末松廃寺あとに残っとるんじゃ。
郷土の民話・伝説集