むかし、泰平寺(たいへいじ)というお寺が太平寺の村の近くにあったと。なんでも、富樫氏の一族、泰平(やすひら)という人をおまつりした寺だということじゃが、くわしいことはようわからん。
この村のはずれのあばらやに鬼三(おにさん)という男が住んどったと。
身のたけが二メートルあまり、あばたづらに、ひげもくじゃ、まっくろい毛虫のような二本のまゆ毛の下には、びっこの目玉がギョロッと光っとったと。
三右衛門というのがその男の名前じゃった。だがそんな面がまえのうえに、人のよい村人たちに悪さをしかけ、困らしては喜んでいたものだから、だれも本名を呼ぶものはなく、鬼のような顔、鬼のようなおそろしいやつじゃということで、「鬼三、鬼三」と呼ばれていたと。
ある年の秋もおわりの寒い晩、鬼三のあばらやへひとりの若い女がたずねてきた。たいていの女なら、鬼三の顔を見るなり、こわさでふるえるほどなんじゃが、この若い女はそんなようすもみせず、
「旅のものですが、宿がなくて困っております。朝からずっと歩きつづけ、もう一歩も進めません。どうぞ、一晩泊めてくだされ。」
というたと。
鬼三は若い女とはあまり、ことばをかわしたことものうて、どぎまぎしたが、
「見たとおりのびんぼうぐらしで、ふとんもないから、とめてやれん。」
と、いうた。じゃが、女はどうしても立ちさらん。泣きそうな顔をして、何度も何度も頭を下げてたのむんじゃ。
「ふとんなんていりません。部屋のすみっこでよろしいですから……」
とな。さすがの鬼三も、
「しゃないな。そんなら。」
というて、家の中へ入れてやったと。
「まあ、あたらっしゃれ。寒かったろう。」
と、鬼三はいたわりの声をかけた。そして、チョロ、チョロもえるいろりに、かれた小枝をなげこんだ。小枝はばっともえ、しばらくのあいだだけ、女の顔を暗やみのなかにうかびあがらせたと。
鬼三の見た女の顔は美しかった。あまりにも美しかった。こんな美しい女がいるものだろうか……。びっこの目をこらして見る鬼三の心は、美しさを通りこしたすごさを感じ、ぞっとしたと。
あくる朝、鬼三が目をさますと、女はチャカ、チャカと、朝げ(朝ごはん)の用意に精を出していた。まるで、ずっと前からこの家にいるようなようすなので、鬼三はふしぎに思った。
その日、女は鬼三の家から出ていかなかった。
次の日も、またその次の日もだった。やがて、その女は、
「どんなことでもしますから、わたしを、あんさんのかかあにしてくだされ。」
と、両手をついてたのんだと。
鬼三も女にそんなことを言われるのははじめてで、悪い気がせず夫婦(めおと)になったと。女はことば通り、田畑に出てよう働き、村でもひょうばんになった。
「鬼三にゃ似合わんいいかかあじゃ。美しゅうて、その上働きもんじゃて。どうして、よりによってあの鬼三みてえなやつのところへ来たもんやら。」
と、うわさしあったと。
ところがな、そんなうわさもすぐ消えていったんじゃ。女がよう働いたのは夫婦になったはじめのころだけで、女はねこかぶっていたんじゃな。働きもせず、美しい着物をきて、ぶらぶらあそびくらすようになったと。銭がないというて、鬼三にせびったが、鬼三はもともとびんぼうぐらしじゃろう。じゃがな銭を女房にわたさないと、家を出ていってしまうんじゃ。
こんな美しい女をなくしたら、たいへんじゃと鬼三はおもうたんじゃ。そうして、とうとう銭をこさえるために追い剥(は)ぎをするようになってしまったんじゃ。追い剥ぎというのはな、旅人や道ゆく人をおどして、お金や着物をとるもののことじゃ。
ある晩、鬼三は北陸道のかたがり松の根本にひそんでえものを待っていた。ちょうど、運悪く、そこを通りかかった女の旅人におそいかかったと。びっこの目玉の毛むじゃらの大男にひっつかまった女は、あまりのおそろしさとおどろきのために気を失ってぐったりとした。
「へへへ……たわいのないやつめ。」
鬼三はだれもこないうちにと、松のかげに女をひきづりこみ、女が身につけていたりっぱな帯や着物をはがし、金銭をうばったと。
「こんだけ持って帰りゃあ、かかあも満足じゃろうて。」
といって、顔を上げてギョッとした。鬼三のすぐ横に白い長いひげをはやした爺さまが、鬼三の顔をきっと見つめていた。
「だれじゃあ、わしのやったこと、見とったなあ、殺してやるう!!」
と鬼三はわめいたが、その人は、すくらと立っておどろかなかったと。
「鬼三、お前のかかあは人間ではない。お前のかかあは魔性(ましょう)じゃぞ。」
というたと。魔性のものというのは悪魔(あくま)のことじゃ。
鬼三は、
「そげなこたあ、あるもんか。」
と言いかえそうとしたが、そん時、爺さまの姿はかき消すように見えなくなり、ただ暗やみだけが残ったと。
鬼三はおそろしくなり剥ぎとった帯や着物を小わきにかかえ、家をめざしていちもくさんに走ったと。
「わしのかかあが魔性ものやとお。あのおいぼれめ、いいかげんなことぬかしおって。こんど会ったら、たたきのめしてやるわ。」
それでも、いわれたことが何やら心のどこかに引っかかって、家にとびこむやいなやかかあの顔をまじまじとながめたんだと。
「わあああ。」
かかあの口びるが耳あたりまでさけている。
「なにをわめいていなさる。おまえさんとしたことが。」
よく見ると、いつもの美しいかかあの顔だったので鬼三はほっとした。ゆらめくあかりのほのおのぐあいで、そのように見えただけだったんだと。
うばった帯や着物をかかあの前におき、重いさいふもどっさりと投げ出した。
「おまえさん。こりゃ、そうとうのものだね。絹じゃないかえ。」
「どうだ。りっぱなもんだろう。おまえの喜ぶ顔が見たくって走って帰ってきたんじゃ。」
かかあは手にとって見たり、肩にかけたりして、うっとりして楽しんでいたんじゃが、急に何か思い出したようにきっとなって、鬼三を見すえたと。
「おまえさん。こんな立派なきもんきておる女なら、髪にゃ、金のかんざしをさしておったろうが、ええ?。」
「…………」
「そのかんざし、どうしたん。ええ?どうしてとってこんのや」
かかあの顔はあさましいよくがむき出しになった。美しいその顔は鬼三でさえもふるえ出すようなおそろしい顔に変わったんじゃ
「着物はぐだけでも、わしは……」
「その女はどこじゃ。」
「かたがり松の根本……」
かかあは肩までたらした髪をふりみだし、はだしのまんま風のように、くらがりの中へとび出して行ったと。
鬼三はがたがたと手足をふるわせながら、
「さっきの爺さまのいうたことあ、ほんとうのことじゃった。わしの、かかあはやっぱり魔性のもんじゃ。今のうちに逃げんならん。」
と、新しいわらじをはいて急いで家を出たと。
月は山の端にかくれ、身をさすような寒い風が吹きまくっていた。かかあが走っていった稲符村(いなふむら)とは反対の道を急いだ。早くここをはなれないと、魔性のかかあが、自分を追いかけてくるかも知れん。早く、早く。タッタッタッタッいきをあらくして走りに走ったと。
「だい分走ったが、どのあたりじゃろ。」
と、くらがりをすかすと、鬼三は泰平寺の山門の前まで来ておった。
「そうじゃ、ここの和尚様(おしょうさま)にお願いして助けてもらおう。」
鬼三は戸をたたき、出てきた和尚様にありのまんまを話して、魔性のかかあから逃れたいことをたのんだと。
和尚はうなずきながら、
「ここには仏様がおいでだから魔性のもんは近づけん。おまえさまが心を入れかえるなら、ここにおいてやろう。」
と申されたと。
鬼三は和尚に両手を合わせておがんだ。
こうして鬼三はあくる日から泰平寺でほねみおしまず働くようになったと。
やがて、和尚の弟子(でし)になり、のちには徳の高い憎になったが、あの追い剥ぎをした晩、やみの中に消え去った白いひげの爺さまのことは、いつまでも、いつまでも忘れなかったそうじゃ。
郷土の民話・伝説集