夏のあつい日ざかりであった。

 坊さまが弟子をひとりつれて、粟田(あわだ)の方へ向っていた。見るからに重い足を引きづりながら歩いていた。二人は朝から何も食べていなかった。せなかの皮と腹の皮がくっつきあうほどだったから、足どりにはまったく元気がなかった。

 道の両側の畑には、きゅうりやなすなどがみずみずしい色をつけていた。手をのばせばすぐに食べられるのだ。しかし、坊さまはとらなかった。せっかく心をこめて作った百姓たちのことを思ったからである。ぐぐっと腹の虫が鳴くのを聞いた。ふり返ると弟子はうつむいたまま、かわききってひわれができた口びるをなめていた。

 朝から山のふもとの村々をまわっていたが、どこの村もいくどもくりかえされた戦いのためにあれはてていた。あれはてているのは村だけではなく、人の心もあれはて仏を信ずる心、坊さまを尊(とうと)ぶ心もなくなっていた。だからどこの村をまわっても、おふせを出す人もなく水を飲んでいけといってくれる家もなかった。

 坊さまは木かげで一息ついたが、腹をすかせた若い弟子だけには何か食べさせてやりたいということばかりを考えていた。村ざかいの川にかかる丸木橋をわたり、粟田の村に入った。

 「和尚さま、あそこの木立の中にすずしそうな家が見えます。あの家で水をのませてもらい、ひと休みさせてもらうことにしたらいかがでしょうか。」

 「おお、それはよい。」

 二人はその家に向って小走りで急いだ。

 木立の中に入ると、すずしい風がほおをかすめた。「からから、からから」と井戸水をくみあげるつるべの音が聞えてくる。二人が井戸に近づくと、いま、昼飯のために田から上がったらしい若い夫婦が井戸水で手足についた泥をあらい流していた。

 たらいの中につめたそうな水があった。木々の葉の間からもれたひざしが、その水にあたって、二人の目にはちかちかした。

 「わたしは旅の僧じゃ。のどが乾いて困っている。水を一ぱいめぐんでもらえまいか。」

 「これはこれは、お坊さま。このあついのにほんとうにごくろうさまでございます。さあ、つめたい水を飲んで、ゆっくり休んでください。」

 と若い夫婦はいった。坊さまと弟子は水をのんだ。かわききったからだに。つめたい水がしみわたっていった。

 「ああうまい。」

 と二人は口々にいった。

 「それはようございました。どうぞ、ごらんの通りのあばらやではございますが、おあがりになって、お休みください。」

 男は粟田村の安そ衛門(やそえもん)といった。女房と二人ぐらしで、まずしいが仲よくくらしていた。

 女房は坊さまのかさをうけとるやら、わらじをぬがすやら、坊さまたちが困るくらい親切をした。そして自分たちが食べるために用意してあった食事を二人に出した。

 「ご親切かたじけない。」

 大へんそまつな食事ではあったが、坊さまと弟子にとっては、これ以上に、うまい食事はなかった。坊さまも弟子もむさぼるようにして食べた。

 さきほど飲んだ水のようにからだじゅうにしみわたった。

 「何日ぶりかな。こうしてわらじをぬぎ、ゆっくり手足をのばすのは。」

 若い夫婦はそういう坊さまたちを見てほほえんだ。すずしい風が吹き、木の葉がさわさわと鳴った。

 腹がおちついた坊さまは庭をながめた。庭には大きなだもの木がある。根もとの方は二かかえも三かかえもあり、枝々は四方にのびていた。まるで、小さな安そ衛門の家をやさしくつつむかのように、うっそうとおいしげらせていた。

 「どうして、荒れはてて緑の少ないこの村にこのだもの木だけが、青々と美しい葉をしげらせているのだろうか。」

 と坊さまは思った。

 「大きなだもの木じゃのう。今まで方々を歩きまわってきたが、このような見事な木を見たのははじめてじゃ。」

 といって、坊さまは天をあおいだ。

 「お坊さま。この木は、わたしのじいさまの、そのまたじいさまの子どものころからここに、はえていたと聞いております。戦(いくさ)の火で何度も何度も焼かれたそうでございますが、このだもの木は焼かれても焼かれても、そのあとから新しい芽を吹き、かれずに生きつづけてきたのだそうでございます。」

 と、安そ衛門はだもの木につたわる話をした。

 「そうでありましたか。このだもの木は、ずっとむかしから、人の世のうつりかわりをじっと見つめてきたわけですな。つらいこと、悲しいことにもたえながら、長い長い間、生きつづけておるのじゃな。」

 坊さまはしみじみいった。

 「人間の一生みたいじゃな。」

 とつぶやくようにいうと、すすす……と庭へおり立ったかと思うと、自分がかたにかけていたけさをぬぎ、だもの木の根本にふわりとかけ両手を合わした。

 「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」

 

 坊さまは念仏をとなえながら今の世の中のありさまを悲しんでいた。

 「このところ、戦いばかりがくりかえされ、何のかかわりのないものまでが戦いにまきこまれている。家を焼かれ作物をふみにじられ、村々の田畑はあれている。食べ物もなく、着る物にも不自由している。おまけに悪い病気がはやり、死ぬものも多い。何と困ったことばかりつづく世の中であろう。人々は体だけでなく、心までがつかれきってしまっている。このままではだめだ。何とかせねばならない。」

 坊さまは幼ない時のことを思い出した。別れた母親がいいのこされたことばである。

 「あなたには親鸞様(しんらんさま)の本願寺(ほんがんじ)をつぐ大事なお仕事があるのです。親鸞さまの教えが長く長く伝わるようにすることです。」

 幼かった坊さまは、母親の前で両手をつき『わかりました。』と、約束したのだった。そして、きびしい修行をつみ、親鸞によって広められたみ仏の教えが長く伝わるように努力を続けてきたのであった。しかし長い間に、つづく戦いにつかれた人々の心からは、親鸞の教えがだんだんとうすくなっていった。このままでは親鸞の教えはたえてしまうと思った坊さまは京都の本願寺にじっとしていることができなかった。

 

 

 遠い遠い加賀の国までやってきたのであった。やはり加賀の国でも親鸞の教えは消えようとしていた。

 「いや消えまい。安そ衛門夫婦のようなあたたかい心の人達がまだ残っているではないか。安そ衛門のような人がひとりでもふたりでも残っている限り、このあたりの村には、親鸞さまの教えがむかしのようによみがえってくるにちがいない。安そ衛門のような男に頼めば、親鸞さまの教えをひろめてくる力になってくれるだろう。」

 と思った。

 だもの木の根本から、静かに部屋にもどられた坊さまは、弟子に荷物の中から紙とすずりを出すようにいった。左手にまっ白な紙を持ち、右手に筆をとった坊さまは、見事な筆さばきで、

 『南無阿彌陀彿』(なむあみだぶつ)と、大きく書いた。そうして、その紙を安そ衛門にさし出された。

 安そ衛門は、紙をうけとりながら、坊さまの顔を見た。文字と坊さまの顔をかわるがわる見くらべた。安そ衛門を見る坊さまの目は美しくすみとおっていた。安そ衛門は身のひきしまるようなもったいなさを感じ、はっと思いあたることがあった。

 「もしかしたら、この坊さまは……」

 そう思うと声がのどにひっかかって、急には出なかった。

 「蓮如さま!!もったいのう、ございます。」

 やっと声を出した安そ衛門は、『南無阿彌陀佛』とかかれた紙をおしいただき、女房は、両手を合わせ、ふしおがんだ。

 「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。」

 いちにちのおわりのあかあかとした太陽が、蓮如や安そ衛門の顔や体を金色にそめあげた。

 その後、村の人々は、安そ衛門の家を念仏の道場として、蓮如さまからいただいた『南無阿彌陀佛』の六字を心のよりどころにして仏を信ずるようになったという。

郷土の民話・伝説集