今から九百年ほど前、加賀の国の国司(こくし)をしていた富樫家近(とがしいえちか)という、身長が二メートル近くあって、力も強く心のやさしい思いやりのある人が、野々市の館(やかた)に住んでいました。

 白河(しらかわ)天皇の第三皇子であった堀河天皇の御代(みだい)に、京都の近くの鳥羽(とば)に御所をたてられるのに、国々から力の強い武士を手伝いにさし出すようにとの命令がありました。

 家近は、さっそく家来をつれて京都へ上がりました。家近らが京都の宿につきますと、どこからやって来たものか、ふしぎなおじいさんとおばあさんがあらわれて、

 「お願いがございます。わたしら夫婦は、これから行かれる御所のトリデの下に住んでおりましたが、工事がはじまりとうとうでられなくなってしまいました。あなたは力があり情ぶかいお方ですから、どうぞわたしたちを助けてください。ご恩は一生忘れません。」

 と、頭をふかくたれてたのみました。

 家近は、かわいそうに思って御所の石のトリデに手をかけて、ていねいにくずしますと、石の下には白いきつねの子が三匹、今にも死にそうになっていました。すぐに手当てをして野原にはなしてやりました。

 その夜、家近のまくらもとに稲荷明神(いなりみょうじん)が立たれて、

 「このたびの情、まことにありがたい。お礼として、永く富樫家を守ってあげよう。」

 と、お告げがありました。

 家近は、御所の仕事が無事におわって国へ帰ると、さっそくホコラをたてて稲荷さま(農業の神さま)をまつりました。そして、毎年かかさずアズキのごはん(赤ママ)をそなえました。

 このことがあってから、どこの家でも月はじめには赤ママをたいて、神棚にそなえるようになりました。また、祝事や祭にも赤ママをたいて祝う行事が野々市を中心に加賀の国にひろがっていったということです。

 この力持ちの家近は、百十七才もの長生きをして、保元元年(一一五六年)になくなりました。

郷土の民話・伝説集