昔々、(今から五〇〇年ほど前)布市(今の野々市本町)の南の方、(矢作から粟田のあたり)に諏訪(すわ)の森という広い広い森がありました。大木が茂っていて昼でもうす暗く、狐(きつね)や狸(たぬき)など沢山の動物が住んでいました。布市から遠く鶴来に通ずる往来はこの森の中を貫ぬき、夕暮れ時に通る人にはずいぶん気味の悪い道でした。
ところが、いつの頃からか、夜この道を通った人がたびたび狐にだまされて困るようになりました。
「このあいだ粟田の太兵衛じいが布市からの帰り道、諏訪の森で狐にだまされ、買ってきた油げをごっそり盗られてしまったそうだ。」
「またやられたか。先月も布市の六兵衛が鶴来へ行った帰り、やっぱり諏訪の森で狐にだまされ、帰り道が分らんがになって、一晩中歩き回り、朝方久安村で見つかったそうな。」
「どうもあの白い化け狐の奴らしいナー」
こんな話が、次々伝わり、とうとう殿様(富樫家二十四世守護職正親)の耳に入ってしまいました。政親(まさちか)の殿は大へん怒って、
「白狐メ、狐の分際で人間をだますとはけしからん。オイ、五郎兵衛、必ず退治せよ。」
と、家来の高塚五郎兵衛に命じました。
殿の命令であるから、五郎兵衛はなんとしても白狐を退治しようと決心し、まず狐をしばる縄をふところにし、百姓の姿で、夕方うす暗くなった頃に諏訪の森に向かいました。
ほの明りの月に照らされたすすきの穂が、晩秋のはだ寒い夜風にざわざわ音をたて、ときどき森の中からふくろうの鳴き声が聞え、侍である五郎兵衛でもなんだかうす気味悪く、一足一足が重苦しく思えたのでした。
ふと見ると、十間ほど(十八Mほど)向こうに黒い人影が見えます。しのび足で近づいてよくよく見ると、これは不思議、きれいな着物を着た女が道ばたにしゃがんでいるのです。
「なんだ!若い娘でないか。おまえどこか体の具合でも悪いのかい!」
「はい、家へ帰る途中急に腹が痛くなり、難儀(なんぎ)しているのでございます。」
「それは可愛想なことじゃ、どうしたらよいかなあー。」
五郎兵衛は考え込みました。「いやいや!ひょっとすると白狐のばけ姿かもしれないぞ。うん! きっとそうに違いない。」
素早く五郎兵衛は、ふところの縄をとり出し、
「ヤイヤイ! お前はあの白狐じゃろ。のがしてなるもんかい。」
たちまち、がんじがらめにしばり上げました。
「違います。違います。私はそんな狐なんかでありません。どうかお助け下さい。」
娘は、シクシク泣きだしてしまいました。じっと見つめる五郎兵衛にもこのような娘が家にいました。つい可愛想な気がしてならず、「縄を解いてやろうかな……いやいや、今がだます真最中にちがいない。油断できないぞ。」
とうとう、縄をひいて殿様の館までやってきました。
「昔から、化け狐は煙でいぶし立てると正体を表わすという話じゃ。化けの皮をはいでやろう。」
五郎兵衛は、この娘を狭い部屋に入れて、下男達に命じて、青い杉の葉をいろりに投げこませました。煙がムクムク部屋一面にたちこめると、娘はけむたくなって、目からボロボロ涙を流し、コンコン咳をしはじめました。
「どうもコンコンと狐の鳴き声によく似ているぞー」
「アッ 尾っぽを出したわい。やっぱり白狐に間違いないぞ。」
可愛い娘のお尻から真白な太い狐の尾がヌーと表われました。
「それ!白狐。何よりのしょうこじゃ!もうにがさんぞ。かんねんせえ。」
可愛い娘の姿は、たちまち白い大狐の姿に変わってしまいました。五郎兵衛はこの大狐の縄をひいて殿様の前へ申し出ました。
「殿、ご覧下さい。ご命令の通り白い狐を捕まえてまいりました。」
「オー 五郎兵衛、あっぱれな手柄じゃ、ほうびをとらそう。先ず、これから馬に乗ることを許す。さらに、横江の庄の内、二日市村の五百四十八名の領地を与えるゾ。」
その後、五郎兵衛は二日市領内に立派な館を建て、沢山の家来や奉公人を従え、領内に住んでいました。深く仏教を信じ、信州(長野県下)の善光寺にたびたび参詣(さんぱい)し、屋敷内に御堂(みどう)を造り、その仏様を拝んでおりました。
長亨(ちょうきょう)二年(一四八八年)一向一揆の戦で富樫政親は高尾城で敗れ、遂に自害してしまいました。この報を聞いた五郎兵衛は、もはや自分の一生もこれまでと、五十一歳を一期に辞世の一首を唱えながら腹かき切って主君の後を追いました。また、家来の村山平兵衛助清も共に殉死したのでした。今でも二日市地内(村の北東、一部バイパスを含む)に五郎兵衛館、平兵衛館と呼ぶ地名が残っていますが、それは墓地だろうとのことです。また、付近には善光寺、矢止、馬場などの地名が今でも伝えられております。
郷土の民話・伝説集