むかし、むかし。

 照日八幡神社(しょうじつやはたじんじゃ)(本町四丁目に跡がある)の境内に、村の若者が数十人で持ちあげねばならない大きな石がありました。

 梅雨があけ、日照りの夏の日が長く続くと、野々市の田んぼは地割れがして、稲が枯れはじめます。こんな時に、若者が大勢でこの石をかつぎあげ、通りをねり歩きます。一軒、一軒の家では、石が来ると「雨乞い」(あまごい)の願いをこめて、手桶の水を石にかけます。石が神社の境内に戻ると、空が急に暗くなり、大粒の雨がふりだしました。こうして、いつの頃からか、「雨乞いの石」といわれるようになりました。

 また、こんな話もあります。

 文治(ぶんじ)元年(一一八五年)、源義経と共に弁慶が頼朝に追われ、東北の平泉(岩手県)に藤原秀衝(ひでひら)をたよって落ちて行く時、加賀の国を治める守護になっていた富樫泰家を野々市の館に、弁慶が一人で訪ねた時のことです。

 富樫の館では、桃の節句ということで酒盛の宴が開かれていました。弁慶は、さっそく酒盛の仲間に入り、話に花をさかせていました。

 「弁慶殿や。あなたは、たいへんな力持ちと聞くが、ひとつ、その力を見せてもらえまいか。」

 弁慶は心よく引き受け、「雨乞いの石」をかるがると持ちあげ、西の端まで歩いて行きました。

 それからは、「弁慶の力石」とも呼ばれるようになりました。

 その後、この石は、明治になって野々市の大火事にあい、二つにわれてしまいましたが、その半分は、今も、布市神社の境内にあります。

郷土の民話・伝説集