今から四百年程昔、石山合戦が、漸(ようや)く終わろうとしていたころ、照台寺の住職に勝秀という人がおりました。勝秀は、長い間の戦いで荒れ果てたであろう本願寺やお上人(しょうにん)様のことが心配で、じっとしていられなく、はるばると京都へのぼったのでした。

 「お上人様、御無事でございましたか。」

 「お、お、勝秀殿、遠いところをようきて下された。はげしい戦じゃったが、お陰様で御本尊様を守ることができました。これも、御仏様のおかげと、御門徒衆のおはたらきのおかげです。ナムアミダ仏、ナムアミダ仏」

 勝秀は、長い戦のつかれでやつれた、お上人様のお姿をいたわしく思いました。

 「勝秀殿、困ったことがありましてのう、このところ本堂に老ねずみが住みつき、夜な夜な、あばれまわり、御経本をかじるは、仏具をこわすは、このままでは御本尊様までもこわしかねないのでのう。

  強そうな猫をかりてきても、だいぶ大きなねずみとみえて、猫がにげだすのじゃ。わるさは日増にひどくなるばかりでのう。」

 「お上人様、そりゃ一大事でございます。戦からやっと守った御本尊を、ねずみにこわされてはたいへんでございます。私の寺では、それはでっかい虎猫を飼っております。かなり年おいておりますが、おそろしいくらい利巧な猫でございます。

 『虎や、今日は寒いのう』と言えば、『ニャーゴ』、『あついのうー』と言えば、『ニャーローン』と、私がつかれたときなど、大きな体をすりよせて、手をなめてくれたり、足をなめてくれたり、人のことばや気もちがわかるのではないかと思うことがあります。お上人様、虎のやつを御本山様のお役にたてて下さい。」

 勝秀は虎猫を連れてくることを約束しました。

 京都からの遠いみちのりを、急いで引きかえし、虎猫をつれると、せかせかと京にのぼっていきました。お上人様のためを思うと、猫連れの長旅も、少しも苦になりませんでした。

 りっぱな虎猫をみて、お上人様はたいそうよろこばれました。

 「勝秀殿、大切な猫をしばらくかりるぞ」

 「虎や、たのむぞッ」

 勝秀は大きな虎猫のあたまをなでてやりました。虎猫は、自分の役目がわかったかのように、勝秀のうでをすりぬけていきました。

 ねこは本堂の天井をじっとにらみ、太い前足をぐいっとかがめた。背中の毛をさか立てて、長いひげをゆらっと動かしたかとおもうと、鼻をひくひくさせながら、天井裏へのそのそと入っていきました。

 それから二日二晩、本堂はしずまり返っていました。大ねずみと虎猫が、にらみあっているのでしょうか。それとも、もう大ねずみにくわれてしまったのでしょうか。勝秀は、気が気でありませんでした。

 三日目の夜でした。

 本堂の天井裏で、ものすごい音がつづいた。

 どどー どどー

 どすん ばたーん

 

 チューチュー ジュージュー
大ねずみと猫が、上になり下になり、すさまじい勢いでくらいつきあっているのでしょうか。

 夜明け近くになり、ピタッと物音がやみ、あたりが静まりかえりました。

 お上人様も勝秀も、一睡もしませんでした。

 明るくなるのを待って天井裏に入ってみました。なんと、ねこほどもある白いねずみが、血だらけになって死んでいました。

 虎猫の姿が見えないので、暗がりをすかしてみると、ねずみからすこしはなれたところに、ぐったりと倒れていました。

 「虎っ」

 といって勝秀がだきおこしましたが、体じゅうに傷を負って息も絶え絶えでした。

 「虎や、ようやってくれたなあ」

 というと、

 「ニャー」

 と、ひと声。そのまま息が絶えてしまいました。

 比叡おろしの冷たい風がおとをたてて吹いている寒い朝でした。

 お上人様は、命がけで化けねずみを退治してくれた虎猫がふびんでなりませんでした。

 大切な虎猫をかりたお礼の手紙を書いて、照台寺の勝秀住職に末永く虎猫をとむらって下さいと手渡されました。

 この手書が「虎猫の御書」として照台寺に伝わっております。

郷土の民話・伝説集