むかし、今の野々市本町一丁目あたりを、「荒町」(あらまち)といっておりました。

 町のはずれに「露の宮」(つゆのみや)というお宮さんがありました。露の宮さんは水の神様ともいわれ、そのあたりは、地下水がとても豊富に涌きでて、いつも清らかな水があふれておりました。人々は、いつの頃からかそのお宮さんを「辻の宮さん」と呼ぶようになりました。

 そこは、野々市の村と押野の村の境界でもあり、ちょうど四ッ角の辻にもなっていたので、そのように呼ばれるようになったのかも知れません。

 明治時代の終わり頃、「辻の宮さん」や「西の宮さん」等が「住吉神社」に合祀(ごうし)されることになったのです。

 その「辻の宮さん」の引越しの時のことです。お宮さんの世話役の人が、御神体をもとの祠(ほこら)に置き忘れてしまったのです。

 なにせ、長さ十センチ程の小さな木の御神体ですから、うっかりして、まわりの飾り物などをせっせと運ぶことにむちゅうになって、大事な御神体に気がつかなかったに違いありませんでした。

 しかし、いつの頃からか妙なうわさが流れるようになり、

 「辻の宮さんの神様が、正しく祀(まつ)られていないので、神様がいやがって、ころころ橋のところから、戻るまさると」

 誰がいうともなく、町じゅうでささやくように伝わっていきました。

 「そんなもったいないことを、しとくわけにはいかん。」

 町の人々は神様のたたりを恐れて、警察へ届けた人がいました。松任から警察の人がきて、よく調べたところ、なるほど、もとの祠に十センチほどの小さな御神体が、そのまま残されていたのです。

 そこで御神体送りの行事が、おこなわれることになりました。

 

 当日は、夜中の十時頃から始まりました。宮総代の人達は白装束で、神主さんの服装をして先頭に立ち、御神体をささげ持って、住吉神社までゆっくりゆっくり行列をする。その後から、村じゅうの老人や若者や子供達まで、大ぜいの人々がそろりそろりとついて歩き、道を埋めつくすほどの人出でした。ちょうど夜中の十二時頃に「住吉神社」にお着きになられた御神体は、うやうやしく納め終えられて、ぶじに行事は終わりました。

 

 今は場所も移されているが、「辻の宮」さんの祠には、心ある人達の手によって、いつも真新らしい季節のお花が供(そな)えられております。

郷土の民話・伝説集