今から二百年程前、太平寺に「武左ェ門」と云う名のおじいさんがいました。
なかなか正直者で世話ずき、仕事熱心で、その上信仰深い人でしたので、村の人たちは、「ぶざえもんさん」「ぶざえもえもんさん」と親しんで居(お)りました。
その年の七月十五日もすぎ、一年中で一番暑い盛り、ぶざえもんさんは、夜の明けきらぬうちから田んぼに出て、草とりをしていました。夜は夜で、星がきらきら輝くころまで働きました。
仏だんにおまいりして晩ごはんをいただくと、ひるのつかれで眠くなり、すぐかやの中へ入りました。
どれだけ時間がたったのか、ふと気がつくと、雨がざあざあ降っています。裏の竹やぶにあたる音、くず屋から落ちる雨だれの音、ぶざえもんさんは、これで少しは涼しくなるだろうと、うつら、うつらとしていました。やがて雨も小やみになり、雨だれもだんだん遠のいていきました。
すると仏壇のおりんが突然「ちーん」と鳴り、どこからかお経の声が聞えてきます。
「仏説摩詞般若波羅密多心経」
「観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五蘊皆空空度一切若厄舎利子色不異色色 即是空………。」
ぶざえもんさんは胸のあたりが苦しくなり目がさめました。
冷い風が「さあっ」と吹くとかやの一角がさらりと落ち、そこに一人の坊さんが立ちました。
「ぶざえもん、ぶざえもん
わしを助けてくれ、出してくれ」
ぶざえもんさんは、おそろしくて布団をひっかぶり、がたがたふるえていました。「出してくれ」と云ったのは、たぶん命を出せといったのだと思い、いっそうこわくなりました。夜のあけるまでが長い長い時間でした。
次の日も働きましたが、昨夜の事が余りにもおそろしかったので、誰にも話しませんでした。そして昨晩はよく寝れなかったので、早目に床に入りました。
ところが前の晩とまた同じ頃、同じ事がおこりました。
三晩目にも同じように坊さんが現われて、「わたしは土の下にうまっているのだ、早く堀りだして楽にしてくれ、口の中に土が入っていて土をかんでいるので歯がいたい、早く出してくれ」と、場所まではっきりいって熱心に頼みました。
ぶざえもんさんは、命を出すのではなく堀り出すのだとわかると、心よく引き受けました。
夜が明けると、まちかねたように村の若い衆の中から強そうな人を三人ばかり頼み、くわとこも、なわを用意して、荷車を引いて出かけました。
場所は金沢の六斗林の広見の遍照寺(へんしょうじ)の跡でした。遍照寺は真言宗で、前田家三代利常の守護寺として建てられました。地蔵さんが多く十輪堂(じゅうりんどう)ともいい、金沢地蔵めぐり二十四ヶ寺の第一番目の寺でしたが、殿様の命令で、泉野に移転しました。夜、お坊さんのいわれたのがその跡地であったのです。
ぶざえもんさんの指図で、若者達は小高い所を次々と堀っていきましたが、さっぱりみあたりません。お昼を食べても休まず堀りましたが、それらしいものに出あいません。長い日も暮れようとしています。ただ黙々と働き続けてきた若者たちもすっかり疲れ、気が荒くなってきました。「えーくそ」と一人がくわを高く振り上げ、力まかせにやけくそに打ち下した、その時でした。くわは深く地にくい込み「カチッ」と石をかくような音がしました。みんなは、「ここだ」「ここだ」と口々にいって、とり囲むように、丁寧(ていねい)に掘りはじめました。すこし掘ると地蔵さんの頭がみえました。そこで、傷つけてはもったいないと、近くの竹やぶから竹を切ってきて、それで土をすくうように掘り出しました。
一メートルばかりの小がらではありますが、立派な地蔵さんでした。頭から、からだを水で洗いましたが特に口をきれいにし、車に乗せて、村まで運びました。二、三日して坊さんを招いて、地蔵祭をしました。鼻の先が少しかけているのは、くわを深く打ち込んだときの傷ではないかといわれています。
長い間、村の中ほどの道端に安置してあったのですが、大正の初め耕地整理のとき、村はずれの墓地へ移しました。ところが行って見るたび地蔵さんがひっくり返えっていました。村の人たちは地蔵さんがさみしいのだと、人通りの多い道ぶちへもって来ました。
うずまっていた時の口の中の土をきれいに洗ったことから、歯痛止めの地蔵さんともいわれ歯の痛む児(こ)などは、自分の使っている箸(はし)をもって来てお参りするとなおると、
近年までよく金沢からもお参りに来る人がありました。また或る時よその村のおかみさんがお坊さんを頼んで地蔵さんの前へやって来ました。そして「三月ばかり前うちの婆さんが亡くなった。夢のお告げによると、まだ成佛(じょうぶつ)できず迷ってござる。太平寺のお地蔵さんにお経を上げてお参りし、もし地蔵さんが笑われたら成彿出来ると夢にみた」と真顔で話しました。お坊さんは、「石の地蔵さんが笑うものか」と自分が笑いましたが、とに角(かく)お参りしようと云うことでお経をあげはじめました。お経の途中でおかみさんが突然声を出して「笑われた、笑われた」と申します。住職も見上げると、かすかにほほえんでおられるように見えました。
おかみさんは何度もお礼を云って、喜んで帰っていきました。
今でも他町からの参けい者も多く、お花やお線香、おさい銭を上げて行く人々が後を絶たない有様です。
ぶざえもんさんの子孫は後に村太と名のるようになったので、村の人々は「村太の地蔵さん」といって、毎年七月二十四日に地蔵祭を盛大に行なっています。
郷土の民話・伝説集