昔、むかしといっても明治のはじめの話じゃと……
押野村の押越というところによしひさのよしべいと云う人が住んでおったそうな……
よしべいさんはたいそう心やさしく働き者じゃったからそれはそれは村の衆からしたわれておった。
ある晩「よしべい、よしべい」と、寝ている耳元で呼ぶ声がしたので、飛びおきた。誰れもおらんかった…。
夢かと又寝たところ「おおざくらの西側まで来てくれ!!」確かに聞こえとる。助けを求めるようなとても哀れな声だし、行きだおれのものかもしれんかなあ……。
人のよいよしべいさんは、きっそく朝の田圃道をいわれた場所へいったそうな……。
「おおざくらの西側」と云ったが川渕(ぶち)で誰もおらず、まわりの田圃にところどころ雪が残っていた。白山連山に朝日がきらきらしておった。
やがてよしべいさんは、「やれやれ夢だったか夢で良かった。あの声は哀れで助けを求める声だったもんなあ……。」一人言をつぶやきながらあたりに気を配っておったが帰り、朝めしの時家の人に一部始終を話したが夢をみたのだと誰もとりあってくれなかったのだそうだ……。
そして、その日一日何事もなくすぎ夕食後も夜なべの繩ないをそこそこによしべいさんは寝床にもぐり込んだ。
「よしべい、よしべい、おおざくらの西側まで迎えに来てくれい……」昨晩の声と同じだった。
「よせ、よせ、昨日ちゃんと言うたところへ行ったけんど、誰もおらんかったぞ」「すまんちがった、訳けあって、明かるいところが苦手なんや、たのむさかい暗うなってから来てもらえんやろうか」「そんなら、そんでわかったぞ夕方いってやるぞ……」
よしべいさんは、こころよく約束をしてしもうた。気がついたら、まだ寝床の中で東の窓で白々と夜明けがわかった。
「又夢やったんか、二回も同じ夢、朝方の夢は正夢と云うし」よしべいさんは寝床の中で考えていた。
よしべいさんは、子どもの頃親から館野(なちんの)の山に柳の木やけやきの木が沢山あり、狐がいっぱいいてだますし、ごみどよ塚には天狗や、人さらいがおって悪い子は連れていかれる。はたまた、「もうこ人」がせめてくるから、早うくろうならんうちに帰ってこいやと、おどし文句に使われておったものだからきっと今頃夢にみたのだろうか~とも思いかえしておった。
「村の衆がこの間、かわうそに、油揚げをとられたと云うとったが、かわうそが、わしをからかうのかなあ……」
とも思ったり、一日おちおち仕事も手につかずうす暗くなるのを待っておったそうな……。二回目の夢のことは、家の誰にも云わなんだそうな……。
とうとう夕方になりました。人影のなくなったのを見計ったよしべいさんは、ねんねこ帯を持ってすっとんでいった。
おおざくらの西側まで急ぎました。
うす暗くなった川渕に身の丈(たけ)五尺余りの老人がひょろりとたっていた。
「よしべいさんかえ?」「ほんやけど、あんたさんは、どなたさん?」「わしは、旅のもんや白山から来たんだけど、道に迷うてしもた。」「どうしてわしを知ったんだね」「くわしゅうはあとで話すから、あんたんちへ連れていってくださらんか」「よっしゃ、よっしゃ、ほんならちょうど帯をもって来たし、おんぶしていってやるわ」と、気のよいよしべいさんは、背を向けると、おぶさって来たもののたいそう軽かったそうな。
かわいそうに、かわいそうに疲れているから口もあんましきけないんやなあ……田圃のえんぞも、一またぎにしてなにしろ家へ急いでおりました。
ところが、村の近くまで来たとき急に背中が重たくなって来たそうな……。
よいしょ、よいしょと、よしべいさんはふんばって、えん先から家の中へ上って一番大きい客間の床の前に降してから夕食を食べているおえへ、家の者を呼びにいった。
それを聞いた家の者は大変びっくりしたそうな。
灯をいれて、ありあわせのごちそうを用意して客間へきたところ、誰もおらず床の前に大きな石が一つでんと、座っていた……だけ。
よしべいさんも、家の者もびっくりぎょう天……大人が四~五人掛けでないと動かせぬ程のものだったそうだ、村の衆も人づてにこんな話を聞いて、よしべいさんの家を訪れては日頃の気徳をほめたたえ、石は白山からの神様のおつかいだと村社白山神社に奉(たてま)つることに満場一致にきめたそうな……。今も押越の村社にその石が納められてあるそうな。
郷土の民話・伝説集