野々市町は、古くから開かれ栄えた歴史ある町です。特に中世の歴史を語るとき、野々市を本拠として加賀一国を領した富樫一族の足跡を語らなければなりません。またこのことは、中世加賀の歴史を語ることでもあります。
新しい町となって三十五年を経た野々市町は、人口三六、〇〇〇人をこえるまでに発展してまいりました。このように急激な人口増と都市化の進む中で、さらに町民の連帯意識を高め愛と和の町民憲章を理念とした「ふるさと野々市」づくりが、今日的課題となっております。そのためには町の歴史を知り、地域を理解し、先人の残された足跡を見つめることが大切なことと思っております。こうした中にあって、昭和二十八年に発行された行野小太郎翁著「野々市町小史」は極めて貴重なものであります。内容としても富樫氏に関する文献資料はもとより、合併以前の野々市町の歩みや人びとの生活等も豊富に収録されており、野々市の歴史を語るものとして欠くことのできない書物であります。しかし入手が絶無に等しく、これまでに町民の中からこの本が何とか手に入らないかとの問い合わせが多くあり、このたび復刻することにいたしました。
この「野々市町小史」を通して先人が育て、今に伝えてくれた野々市を知って頂き、郷土の歴史書として大いに活用されることを念じております。
平成二年三月十五日
野々市町長 西尾 修
時これ大正十三年七月一日、町制布かれて爰に三十年、これが記念事業として、町史の編纂を企図せられ、その編集方を余に請せらる再三これを固辞すれとも容れられず、遂に不学短才其器に非らざる事をも顧みず、聊か補翼犬馬の労に眼することとし稿を起す、固よち野々市の史たりや、創史一千年の遠きにあり、就中加賀国史の大半を占むる富樫氏の拠地にして、その全盛時代には加賀文化の発祥地とも言われ、国中の冠府たり、然るに長享二年に至りて五百年の擁護を受けたる富樫氏を失い、以後、天文、元亀、天正と、打続く戦禍に遭い、一時気息奄々たる衰姿を見たるも、前田氏の治世に入り漸くにして一町を形成し、宿駅の観を止め逓駅の要務を勤む、亦藩命に依り年中馬市を開き加賀馬政の重要地たり、斯の如く古来野々市は凡ての文物他の町村に逸出しその史蹟については広範多彩のものありて、到底余が微力を以て、その全観を叙し完全なる正史を編成し、請に応ずる事能わず、剰へ近年眼疾を病み、視力極度に減退し史料の採訪意の如くならず、且亦編纂期日の制限に迫られ、唯貧架有会せの地方史乗に見える記文の概略と、口碑相伝わる伝説を蒐集し、収載したるものに過ぎすして、学究的のものに非ず随て又文筆極めて拙劣、記事迂遠、徒に贅弁党句に渉りて、何等得る所無き一野史なり、この史大方の厳批と考証とを乞い以て我郷土の古墟を推考する資の幾分ともならば最も幸甚とする所なり。
余年歯初老に入らんとする項より、古人の尊蹟と事物の由来に就き興趣を覚え、郷土の一木一石と雖、これを黙過するに忍びず、折に触れ、幾に接して、先覚斯道の薫陶を承け、今漸くにしてその少部分を朧に覚え、不遜なる一書を擬して史実の周知を後世に求めんとする一微意に外ならず。
而してこの書中、問題と為る可き点、多々あるは勿論諸事の誤謬の多くあることなれば、今後同好の士、更に探究の道を進め、是等を是正して、我野々市の史乗を明正完結せられむ事を庶幾してこの筆を擱む。
昭和二十八癸己年七月一日
野々市町嘱託 行野 小太郎 識
(六十一叟)
扉 瀬尾 九八氏
第一章 地理的概観
第二章 最古史と地名
第三章 国府開奠
第四章 町の成立と国郡郷荘
第五章 富樫氏
第六章 富樫氏の分裂
第七章 富樫氏の滅亡
第八草 国府癈滅
第九章 富樫氏滅亡後の野々市
第十章 神社仏閣
第十一章 天皇行事及皇族台臨
第十二章 関係の古人
第十三章 名物及旧蹟
第十四章 人物
年表
野々市町小史