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page=22 :再建金堂(sb2b) 一応再建金堂としたが、建
物の構造や詳しい性格などは不明である。sb2a
の基壇中央に東西13.5m、南北10.8m にわたって
20cm 大の玉石が一面に敷き詰められており、方
位が金堂雨落溝や塔に比べて東に約11度ずれてい
る。地固めの敷石と考えると、基壇全体でなく建
物直下のみに地固めが行われたとも考えられる。
遺構の変遷出土した遺物の検討や、建物遺構の
切り合いと構成、方位軸などから、末松廃寺跡は
・期に大別され、期は建て替えによってa
・b 期に区分される。また、遺跡全体としては4
画期5小期となる。
・期(創建期)
創建伽藍が存在した段階。塔(sb1)、金堂(sb
2a)、周囲を囲む土塀(sa1~3)よりなる。
本来北側に存在するはずの講堂については、調査
区をやや大きく設定したが確認されていない。創
建された時期としては、塔の基壇の下で確認され
た竪穴建物より7世紀第3四半期にあたる土器が
出土しているため、それ以降、具体的には西暦660
~670年を想定している。また、発掘調査により
検出した金堂の瓦溜まりより、8世紀第1四半期
の土器が出土していることから、このころまでに
は倒壊していたようである。
page=22 :・期(再建期)
期は、a・b の2小期に分けられる。まずa
期は、廃絶された金堂の上に建てられた玉石敷き
の再建金堂sb2b と北側にある南面庇の掘立柱
建物sb3、さらに北側の掘立柱建物sb6の3棟
と、このころには土塀ではなく掘立柱に変わった
と思われる柵列sa4~7で構成される。それぞ
れ建物主軸をやや東に振り、sb2b は規模を縮
小して建てられている。塔は再建されなかったよ
うであるが、9世紀前半~中ごろの瓦塔(焼き物
で作ったミニチュアの塔)片が塔跡周辺より数点
出土しているため、代替品として簡単な覆屋の中
に納めたのかもしれない。存続した時期は、明確
に遺構に伴う土器が出土していないため不明な部
分が多いが、金堂が倒壊したと思われる8世紀第
1四半期を上限とし、掘立柱建物の柱穴の掘り方