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page=41 :ふるさと歴史シンポジウム「いまよみがえる末松廃寺」
末松廃寺と飛鳥・白鳳の寺院
公益財団法人文化財建造物保存技術協会
審議役村上 一
1 飛鳥・白鳳時代〈593~709〉とは
推古天皇が飛鳥豊浦宮に即位した推古1年(593)から平城遷都までの時代で、飛鳥時代(593
~644)と白鳳時代(645~709)に大きく分けられる。
飛鳥時代は、仏教の伝来と大陸建築の導入がおこなわれ、6c 末に我が国初の本格的寺院で
ある飛鳥寺が百済の工人の指導により創建された。さらに、7c 初には四天王寺や法隆寺(若
草伽藍)など多くの寺院が建立された。
白鳳時代は、645年の大化改新の政治改革により律令制国家が成立。7c 後半にはいると遣
唐使が頻繁に派遣され、仏教建築に新様式(初唐様式)が大陸から直接導入され、川原寺(662
~667)等が創建された。694年には藤原宮に遷都され、本格的な大陸形式の都城が出現し、大
官大寺(7c 末)・薬師寺(本薬師寺・7c 末)が京内の官寺として建立された。
また、飛鳥時代の寺院の創建は大和を中心とする近畿地方に限られたが、白鳳時代になると、
中央の文化が地方に広まり、地方でも多くの寺院が建築された。
なお、この時代を奈良時代前期、あとの天平時代(奈良時代ともいう)を奈良時代後期とす
る場合もある。
page=41 :2 現存最古の伽藍と建造物
飛鳥時代の建造物は現存しないが、白鳳時代の建造物は法隆寺西院伽藍に金堂・五重塔・廻
廊・中門、法起寺に三重塔が現存している。
法隆寺は、聖徳太子により607年(推古天皇15年)に創建された(若草伽藍)。この伽藍は670
年(天智9年)に焼失し、その後、位置を少し変えて再建されたのが現在の西院伽藍である。
西院伽藍の中心仏堂である金堂は、胴張りのある太い柱、皿斗付きの大斗、雲形の斗と肘木、
卍崩しの高欄、人字形の割束等の形式をもち、現存する天平時代の建物の内でも特に古い様式
をもつ薬師寺東塔(天平2年〈730〉)と比べるとより古式であり、飛鳥時代の様式が残されて
いると考えている。五重塔なども同様である。
なお、薬師寺東塔は三手先斗が初期的で、肘木に舌と呼ばれる法隆寺に似た突起をもつな
ど他の天平建築に比べ古い要素が多い。これは、薬師寺が天武9年(680・奈良前期)に藤原
京に創建された伽藍の姿を平城京にそっくりうつして創建したために、東塔は実年代は下がっ
ても前時代の白鳳様式で建築されたものと考えられている。