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page=50 :昭和36年3月24日、父は末松廃寺跡から和同開珎の銀銭を発見した。父の記録によると、昭
和36年の春は雪解けが遅く、史跡が雪害で破損していないかどうか、何時もの様に見守り中、
金堂脇の水路に、黒く光るものを発見、最初寛永通宝かと思ったが、手にとって見ると和同開
珎の字が読み取れた。早速家に帰り、末娘の高校の歴史参考書から、日本最初の貨幣、和同開
珎と確認した。
父は、大変な物を見付けたと非常に興奮していたことを、私ははっきり記憶している。たま
たま偶然の発見であるが、息子の私は、決して偶然ではなかったと思っている。父は、それ程
頻繁に史跡を見まわっていたし、雪解けの増水した川底で、埋蔵している遺物が洗い流されて
時々露出することを知っていたのである。
(写真4 高村誠孝が発見した和同開珎)
(写真5,6
数年後に発見現場を再現した風景)
同年、4月12日、石川県教育委員会を訪問、
野口主事は、以前、三子牛山で、和同開珎600
枚が出土したが青錆の腐食が激しかった、しか
し、これはどうしてこんなに綺麗なのか、不思
議だ?と驚いたそうである。そして当時、石川
県誌編纂主任の川良夫氏に鑑定を依頼したが、
同氏も不思議だと驚いたそうである。
2日後の4月14日、当時考古学の最高権威者、奈良国立博物館館長、石田茂作氏を訪問。