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page=51 :緯を聞かれたと云う。
父は、このように行動力があった上に、物事を正確に記録すると言う習慣が身に着いていた
ようである。技術屋の私には、まね出来ないことである。
和同開珎の銀銭は、当時、大和の国小治田安麻呂の墓から10枚発見されて以来、全国で、2
番目の発見であった。
和同開珎銀銭の発見が契機となり、末松廃寺跡の発掘調査が始まることになった。
(1)昭和38年10月、野々市町教育委員会、石川考古学研究会の予備調査
写真7、8は、予備調査の状況を示す。
写真7 予備調査風景写真8 予備調査の現場
(2)国営調査
昭和41年9~10月国営第1次発掘調査……… 事業主体野々市町
昭和42年7~9月国営第2次発掘調査……… 事業主体文化財保護委員会
鍬入れ式には、当時の石川県知事中西陽一、野々市町町長中島栄治氏が参加した。