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page=59 :角廃寺の近くには後に越中国分寺が造営され、平城宮と同じ文様の軒瓦が新たに導入されてい ます。御亭角廃寺は評(こおり)の役所に関係した寺院だったと考えられています。 北陸の初期古代寺院の展開 北陸では初期の古代寺院は、周囲に影響を与え、地域の核になったと考えられます。瓦から 見ても深草廃寺系の平瓦が武生市周辺や加賀市周辺に影響を与えています。末松廃寺の軒丸瓦 や平瓦も加賀市弓波廃寺などに影響を与えています。越中の御亭角廃寺の軒丸瓦や平瓦は富山 県氷見市の小窪廃寺や石川県七尾市の国分廃寺に影響を与えています。いずれも周辺に古代寺 院が増加していく際に影響力を持っていました。ところが、中核になったこれらの初期寺院は 奈良時代まで瓦葺きが存続せず、平城宮式の軒瓦を継続的に導入した寺院は確認されていませ ん。北陸では初期の寺院に限らず、ほとんどの古代寺院の瓦葺きが短命でした。 3.末松廃寺の建立と古代加賀の「文明開化」 (1)末松廃寺の造営 発掘調査によって末松廃寺は法起寺式伽藍配置をとることが明らかになりました。しかし、 塔の遺構は残りが悪く、状況がよくわかりませんでした。講堂も掘建柱建物以外、明確な遺構 は確認できませんでした。講堂は瓦葺き・礎石建の建物はなかったと想定されます。 金堂は創建後のある段階で瓦屋根が倒壊したらしく、大量の瓦がまとまって出土しました。 8世紀中葉から9世紀初め頃、金堂の基壇上に一回り小さな堂が建築されていますから、遅く とも、それ以前に金堂が倒壊していたと思われます。
page=59 :(2)末松廃寺の瓦作り 軒丸瓦末松廃寺の瓦は、二つの系譜の文様が確認されました。一つは末松廃寺でもっとも多 く出土したもので、単弁8葉で周囲に二重の鋸子文が確認されます(a 系統)。もう一つは、 わずか一かけらしか確認されませんでしたが、複弁8葉のもので、周囲の文様はかけていてわ かりません(b 系統)。どちらの瓦もほぼ同時期のものだと想定されます。a 系統は能美市湯 屋窯とその周辺で焼成されました。b 系統は土の違いから湯屋窯とは別の地点で製作されてい たと考えられますが、その産地は不明です。 a 系統の軒丸瓦は、細い弁と太い弁の二つが確認されますが、細い弁は一かけらしか確認さ れていませんが、直径が大きく、厚さもあることから古い可能性があります。太い弁のものは、 直径を縮めるために細い弁を圧縮したのかもしれません。この太い弁のものは、何度も笵型を 彫り直して補修していることがわかりました。この笵型の最終版が能美市湯屋窯で出土した軒 丸瓦です。随分と笵型が痛み、文様が不鮮明になっている部分がありますし、瓦当の厚さが著 しく薄く華奢になっています。末松廃寺の金堂から出土した軒丸瓦のほとんどがこの笵型で造 られていました。 平瓦末松廃寺から出土した平瓦の大半はa 系統の平瓦で占められますが、b 系統の平瓦も、 ごくわずかに確認されます。 a 系統の平瓦が叩き締めの痕跡をそのまま残すのに対して、b 系統の平瓦は叩き締めの痕跡 を完全に消し去っています。焼成もややa 系統に比べてやや甘い傾向があります。そのため、 a 系統とb 系統は比較的簡単に区別することができます。 a 系統の平瓦は、軒丸瓦の笵型の補修に合わせるようにして、技法が変化したようです。お