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page=73 :に故地をもつオンドル型カマド付竪穴建物がその原型である可能性が高い。近江地域に故地を求めてい
ぬかみまち
る壁支柱竪穴建物構造についても、小松市額見町遺跡におけるオンドル型カマド付き竪穴建物構造が7
世紀後葉になって壁支柱竪穴建物に変化している点と朝鮮半島でも確認例があるとの情報から、朝鮮半
島にその故地を求めえる可能性が高く、7世紀代に特徴的に北陸西部に出現する新たな竪穴建物構造は、
いずれも朝鮮半島を故地としている可能性を有すこととなる。
また、今回取り上げた国内の移民系煮炊具である丹波系煮炊具にしても、6世紀後葉に青野型住居を
有する集落の成立とともに出現してくる傾向があり、口縁部内面のロクロヒダ状の強いナデはロクロ技
法による可能性も指摘されているなど、朝鮮半島系技術をもとに出現した可能性を有している。近江系
煮炊具についても、その器形が定型化するのは6世紀後葉であり、特徴的な釜の長胴器形は、朝鮮系と
の繋がりも想起させる。これら移民系煮炊具の成立が朝鮮半島に直接的に結びつくものではないが、新
規開発型集落の成立時期や新たな竪穴建物構造の導入、新規形態の煮炊具成立を関連させて考えれば、
朝鮮半島からの移民がそれに関わっていた可能性は十分にある。
以上の視点で手取扇状地に移配された人々を考えると、丹波でも近江でも、もともとの伝統的な集落
民を北陸西部へ移配したのではなく、6世紀後葉に畿内北東部に成立させた新規開発型の集落構成員を、
二次的に移配した様子が読み取れよう。それが朝鮮半島からの渡来人を主体とした移民であったとは言
い切れないが、畿内北東部の新規集落形成において、農地開発を先導するだけの技術力を有し、集落内
しきじのうりょく
の構成員を統制管理するための文書作成の識字能力を有した人間は必要であり、つまりは渡来系移民
こんかんこ
が先導的な立場で加わっていた確率は高かったと言えよう。彼ら渡来人は初期律令政治の根幹を成す戸
せきけいちょう
籍・計帳の作成・管理と、農地開発等の経済基盤形成に重要は役割を担っていたものであり、その渡
来系二世を含む集団を核に北陸西部の新規土地開拓は進められたと見ることも十分可能と言えるだろう。
page=73 :3 飛鳥時代の移民集落とその目的
(1)南加賀の移民集落と手工業生産
かがさんこさんこ
南加賀地域には農地開発を主目的とする扇状地開発集落は確認できないが、加賀三湖に囲まれた三湖
だいち
台地に、飛鳥時代の始まりとともに新たな形で集落遺跡が面的な広がりをもって成立してくる。当地は
弥生時代、古墳時代と主要な集落域となっていない未開の地であり、集落成立時の竪穴建物構造の約9
割が朝鮮系竪穴建物構造と言われるオンドル型カマド付竪穴建物である点から、朝鮮半島からの渡来一
世を軸に集落形成がなされたものと理解されている。
そうぎょう
当集落成立と同時期、三湖台地集落群から潟を挟んだ対岸丘陵地には製鉄遺跡群が操業を開始する。
5世紀末に既に稼働を始めている製陶遺跡群もこの時期に再編され、生産規模の著しい拡大が図られて
おり、ここに北陸でも最大規模を有す南加賀製陶・製鉄遺跡群が誕生する。三湖台地集落群は当製陶・
製鉄遺跡群の成立と深い関係にある集落と位置付けでき、それは当集落群内に見られる朝鮮系煮炊具生
産が後に丘陵部での土師器生産へと移行し、北陸型煮炊具成立の原点となること、丘陵部の製陶遺跡群
せいれん
で使用される窯道具が当集落群内で出土すること(製品出荷時の廃棄品)、丘陵部で製錬された鉄素材
せいれんぼうすいしゃ
を当集落群内に持ち込み、盛んに精錬、製品加工を行っていること、製糸業に伴うと判断される紡錘車
が多く出土することなどから窺い知ることができる。三湖台地の朝鮮系移民は丘陵部手工業生産に従事
する技術者としての位置付けがなされるものであり、丘陵部手工業生産遺跡群の工人集落と製品加工や
えぬまぐんや
出荷・流通、他の副業的手工業生産を兼ねた集落と性格付けられよう。当台地集落群は、後に江沼郡八
たごうさとぬかたごうさとやたべぬか
田郷(里)、額田郷(里)として支配管理される地であり、その名称から集落成立段階では矢田部、額
たべべみんしゅうらく
田部の部民集落としての位置付けがなされたものと理解される。
ひょうせいせこう
この三湖台地集落群の南方には江沼地域の伝統的集落域である江沼盆地が広がるが、評制施行間も