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page=19 :泰澄はこれらの仏像を見ていたかどうかは分からない。しかし、泰澄が活躍した時代に、このようなバックグラウンドがあったと云うことが出来る。 5. 泰澄仏は今 時代は奈良から平安、鎌倉と進み、仏像の製作技術が進み、地方でも立派な仏像が作られるようになった。泰澄ゆかりの寺でも勢力のある寺では、新しい仏像を作り、泰澄御作と呼ぶようになった。 (1) 福通寺 朝日観音伝説が残っている。 泰澄が巡錫をしていると、山に怪しい雲が漂い、ただならぬ気配に気付き、村人に尋ねると、山の神がたたりをなし、人々を苦しめているという。泰澄は魔性渦巻く山中に籠り、21日間観音経を祈り続けた。ついに魔が失せ、村に光が戻ってきた。 泰澄は楠を断ち切り、正観音と千手十一面観音を掘った。開眼供養のとき、額から朝日のように光が射し、その後この仏像を「朝日観音」、この地を「朝日」と呼ぶようになった。                       
page=19 :正観音像立像(鎌倉時代)196cm 千手十一面観音菩薩立像(鎌倉時代)              福通寺観音堂 172cm 福通寺千手堂 福通寺を訪問すると、朝日伝説の正観音像と千手十一面観音像が祀られている。もっと古い仏像がないかと尋ねると、近くの日吉神社に、以前この寺に在った十一面観音