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page=31 :付録 泰澄所縁の寺・参考文献 大兄八幡神社 大正13年9月に編纂された石川県石川郡神社誌に、社伝によると「当社は、往古大兄明神と号し、神仏混淆禁止以前は、泰澄作と称する虚空蔵菩薩の像を安置したり。されどそは元当社付近の殿堂に安置しありたるものにて産土神たる大兄明神と同じく祭祀を修し来たれり。殿堂は富樫氏の老臣末松信濃が老後致仕(隠居)し後、本殿の傍らに設けたる虚(いおり)なりしが星移り物変わりて堂宇も破損したるを以て彼の虚空蔵菩薩の像は便宜上一時本社に納めたるに過ぎず------」と書かれている。 同神社誌で、周辺の泰澄ゆかりの神社を探すと次が載っている。  中林春日神社-------野々市市中林  泉野桜木神社------金沢市泉野3丁目  吉野神社  ----- 白山市吉野  小白山神社 --------白山市小川                      石川県石川郡神社誌  大正13年9月   
page=31 :林西寺 白山下山仏 林西寺の白山本地堂には、白山の下山仏10体余りが収蔵されており、その中に釈迦如来半身像が含まれており、旧道桧の宿に在ったとされている。 白山本地堂に安置されている諸像は、いずれも白山頂上の社殿や堂宇に安置されていたもので、林西寺所蔵の「白山下山仏関係記録」によれば、明治7年(1874)神仏分離の際、当時の住職が下山費を拠出し、林西寺に安置したとある。                      白峰村史 (山岸 共(ともに)) 成宗寺 成宗寺由来 当寺は、一千年以前の創建にして昔は、仏光山蓮光寺と称し、種多の支院を有せし七堂伽藍の真言地なり。 文正の頃、上杉家の臣上村但馬守成宗隠遁の志を起し薙髪して、当寺別当職となる。 文明年中、本願寺蓮如上人吉崎に錫を留め盛に化を施す、遠近風摩す、遂に、其化導に依り弟子となり、御親筆六字名号、並びに法名祐昌とを賜り、改宗して本願寺末となり、成宗の名に因みて寺号を成宗寺と改む、此れを開基となす、爾来歴世相受け慶長17年、六世裕残の時教如上人自画自賛の壽像を賜り、大谷派末となり今日に至る。 本尊、阿弥陀如来は、真言宗時代より伝来の尊像にして、泰澄大師御作と伝う。                       作成年代不詳 成宗寺累史