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page=32 :石動山
石動山の由来を語る縁起に、「古縁起」と「新縁起」の2系がある。
「古縁起」の特徴は、開山を方道仙人、中興の祖を智徳と説いており、一方の「新縁起」は、白山を開いた泰澄が、続いて石動山に登り、神仏の世界を構築したと説いている。すでに「古縁起」が存在していたにもかかわらず、方道や智徳を無視して、泰澄伝承を採用しているのが「新縁起」の重要な特色と云える。
「新縁起」は、「古縁起」の主張をしりぞけて、泰澄伝説を全面的に採用するには、それなりの理由がなければならない。理由は、近世初期の石動山において「古縁起」の主張とは別に、泰澄開創の伝承が、現実に生き続けていたことにある。
昭和60年 鹿島町史
泰澄寺
大師堂縁起
大師を祀る本尊は大師35歳の折白山を開かんとして赴くに当たり、父母孝養の為自ら刻まれて遺された尊像で33年毎に開扉する。大師修行の根本道場であったこの付近には38社の寺坊があったが、織田信長の兵火にかかり、全部烏有に帰した。
本堂はその後建てられたものである。今も正擇坊越の燕雀坊等の名が地名として残り当時の隆盛を物語っている。
堂内には元正天皇の勅額 大師御自作の不動明王 血染め観音像並びに毘沙門天雨王童子 大師の高弟であった臥行者 浄定行者の像 大師愛用の鉄鉢等を蔵す。
泰澄大師遺跡保存会
page=32 :猿田彦神社
私が注目する遺跡は冬野路遺跡である。本寺跡は城山(標高202m)の中腹に位置し「吹野寺略縁起」によると大宝年間(702)に泰澄が開基した伝承を持つ。現在は猿田彦神社が鎮座し、泰澄自作の木造十一面観音菩薩立像(福井市指定文化財)が安置されている。
平成17年10月 泰澄が見た風景 堀 大介
大谷寺
越知山大谷寺縁起
大谷寺は、泰澄大師の開創、1300年の歴史を誇る北陸屈指の古刹である。
奈良仏教の盛期に、わが国古来の神を尊崇し仏の信仰を併せて行う、本地垂迹神仏習合の説を流布して、山野を跋渉し、大いに道路を開拓して、民衆の教化に専念された越しの大徳泰澄大師が、本拠の地として苦修練行された処で、ここに越知山三所大権現の御本地仏、地主大聖不動明王を自ら彫んで安置し、威験無双の廟社を創建された。時に持統天皇6年(692)と伝えられ、故に北陸仏法最初の霊場と称される。