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page=35 :最勝寺 最勝寺は、海津東町字宮後にあり、峰高山(玄六年「寺社改帳」には巌高山とある)、最勝寺白雲院と称する。本尊千手(十一面)観音像(秘仏)は、泰澄がカヤの大木で、観世音と大黒天を自ら刻み、峰山の山頂に安置したのに始まるという。「興福寺官務牒疏」には、  最澄寺 在同處東峰。号峰高山白雲院。僧房六字。本尊千手十一面大士。泰澄開基。 とある。堂は、東町の民家から25町(2715m)の離れた峰山(487.2m)の山頂、海津字岩谷291番地にあり、俗に峰観音という。             マキノ町史 昭和62年1月31日 マキノ町史編纂委員会 平泉寺 麻結地蔵 本尊の地蔵尊は、泰澄大師の直作で木造である。昔、このむらに一人の老婆がいた。身は大変まずしくおとっていたが、心は極めて正直で誠実な人であった。夜なべに麻をつむぎ、日中は田畑に出て良く働いた。家は粗末な小屋であった。小屋の南に小さなお堂があり、そこに安置されている木造の地蔵様をこのおばあさんは一心に信じて毎日お参りを欠かさなかった。夏の土用のある日、お堂の前に麻を並べて干し、山へ薪を伐る仕事に行く際に、お堂の前にてなぐさめに独言を云う「うら今日山へ行くんにゃで、もし雨が降るんやったら、うらのために麻を入れておくねんせ」と云って山へ行き薪木を伐っていた。ところがにわかにかけ曇り、大粒の雨が急に降りだした。おどろいた老婆は、あわてて走り帰って見れば、あにはからんや一本の麻もなく、皆結束してお堂の中に入れてあり雨にぬれずにすんだ。これは不思議なこともあるものだと思い、近所の人に聞いても誰も知らぬと云う。もしや地蔵様が束ねて入れて下さったのではないだろうかと考え、お堂の中の御尊像を拝んでいたところ見覚えのある一条の縄を両手に持っておられた。老婆はまぎれもなく地蔵様が入れて下さったのだと涙ながらに感じ入り、改めてこの地蔵様の尊さに驚き、人々に話した。人々も何とありがたい地蔵様であるかと、お参りする数も増えなお一層信仰するようになった。
page=35 :これより人々は崇めて麻結の地蔵と称するようになった。現在梅田治右衛門氏宅の南側にお堂があり「おんざはん」と云われて、毎年の8月24日地蔵盆の日にお祭りがある。 平泉寺のいわれ 昭和63年3月10日発行 平泉寺壮年会   湖北の寺院群 己高山縁起 最澄は己高山南麓高尾に草堂を設けて修行に入ったが、山上で仏頭を見出した。これは 十一面観音像で、その近辺には仏閣の跡があって礎石が散在していた。そこへ一仙翁が現 われてこの峰は古仙練行の霊地であるが、火災によって堂舎が焼失し再興できず、聖人の