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A16●二日市(ふつかいち)
二日市町
ののいちガイドマップ
 地名は、中世の頃に「ニ」のつく日に市(いち)が開かれていたことによるものと思われ、小字名には中世の名残(なごり)と考えられる「古屋敷」「馬場跡」などや、古墳の存在が推定できる「おた塚」「蛇塚」がみられます。(本24・46)

 江戸時代の1708年(宝永5)に家数25、人数164、1712年(正徳2)に観音堂があった記録が残っています。(本8・38・40)

 氏神の八幡社は1881年(明治14)に荒川(あらかわ)八幡神社に改称され、1907年(明治40)に長池の八幡社を合祀(ごうし)し荒川神社としました。鳥居は無く、数回建立したがなぜか一夜にして倒壊(とうかい)した言い伝えがあります。境内に1856年(安政3)の石燈篭や、砲弾を乗せた日露戦争戦勝記念の石碑が奉納されています。

 近代は郷村に属し1956年(昭和31)の分村合併からは野々市町の町名となっています。(本5・25)


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