地名はさきの二日市と同様で、「三」のつく日に市(いち)が開かれていたことによるものと考えられます。
江戸時代には熟瓜(うみうり)・菓子瓜などを生産し、金沢城下に出荷していました。(本18)
氏神の八幡社は1896年(明治29)郷(ごう)八幡(はちまん)神社に改称しました。
1875年(明治8)に東の稲荷村を合併し、町村制施行からは郷村に所属しました。1956年(昭和31)野々市町へ分村合併時に東三日市としていた旧稲荷地区が分離されています。
地区の東部では「野々市万葉台」と称した分譲団地が造成され、1981年(昭和56)には三日市新町が誕生しています。
(本8・25・38)
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