1358年(延文(えんぶん)3)新田(にった)義貞(よしさだ)三男の義泰(よしやす)とされる僧唯性(ゆいしょう)の建立を始まりとします。唯性が押野村で宿泊したとき枕上に草堂(そうどう)の再興を願う童子(どうじ)姿の聖徳(しょうとく)太子(たいし)が現れ、翌朝村人と荒れ果てた草堂に太子像を見つけ、お告げに随(したが)いお堂を建て「太子(たいし)堂(どう)上宮寺」と名づけたとされています。(本28)
旧上宮寺跡(金沢市八日市1丁目)
戦国時代後期には真宗(しんしゅう)の有力寺院として重きをなしていました。17世紀の初頭にお寺は金沢に移りましたが、1982年(昭和57)10月に創建の地である押野に再建されています。付近には「上宮寺」や「総門(そうもん)」の字名が残っています。(本39・45)
上宮寺(押野2丁目)
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