響升は名を清水市太郎といい、1863年(文久(ぶんきゅう)3)押野村に生まれた力士です。身長172cm、体重114kgの恵まれた体格を活かした強烈な押し切りを得意とし、東京相撲で活躍しました。1892年(明治25)に関脇まで昇進しましたが、1899年(明治32)に引退しています。また、乗馬を好んだことが知られています。
響升の没後、押野村の有志や消防組によって高皇産霊神社境内に石碑が建てられましたが、風雪による損傷がはなはだしいため、1972年(昭和47)に押野地区の有志によって新しい顕彰碑が建てられ、現在では新旧2つの石碑が並んで立っています。(本46)
顕彰碑
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