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B29〜31●扇(おうぎ)が丘(おか)遺跡群(いせきぐん)
29●扇が丘ヤグラダ遺跡
30●扇が丘ハワイゴク遺跡
31●扇が丘ゴショ遺跡

ののいちガイドマップ

 扇が丘遺跡群は町の東側に流れる高橋川沿いに広がる遺跡群で、高橋川の改修や周辺の土地区画整理事業に先立って発掘調査がおこなわれました。


 扇が丘ヤグラダ遺跡は1992・97・98年(平成4・9・10)に発掘調査がおこなわれ、奈良・平安時代と鎌倉時代を中心とした遺物(いぶつ)や遺構(いこう)が発見されています。また、4面に庇(ひさし)を持つ立派な建物も確認されており、周辺にはかなり身分の高い人物が暮らしていたことが想像できます。


 扇が丘ハワイゴク遺跡は現在高橋川の流路になっている部分を1990・91年(平成2・3)に石川県立埋蔵文化財センターが、区画整理で道路や宅地になっている部分を1997・98・2000年(平成9・10・12)に野々市町教育委員会が発掘調査を行なっています。

 この内、現在高橋川になっている部分では縄文(じょうもん)時代(じだい)の川の跡が確認されており、今も昔も川として利用されていることには驚きです。

 それ以外の場所では、弥生時代末と奈良・平安時代、中世の土器や石器、住居跡などがたくさん発見されており、扇が丘遺跡群の中心部分に当たると思われます。中でも現在の河(か)道(どう)のすぐ西側で発見された8×6間の総柱(そうばしら)の掘(ほっ)立柱式(たてばしらしき)建物(たてもの)は、周辺でも類を見ないほどの大きさです。

 この建物が建てられた時代は中世富樫(とがし)氏の頃であり、富樫館(とがしかん)跡(せき)と高尾(たこう)城跡(じょうあと)を結ぶ場所に当たります。

 当時貴重品であった中国製の陶磁器(とうじき)も多く見つかっていることから、富樫氏に仕えた重臣(じゅうしん)の館(やかた)跡(あと)と考えられます。


 扇が丘ゴショ遺跡は、高橋川の改修に伴い1989年度に石川県立埋蔵文化財センターが発掘調査をおこなっています。

 遺跡の年代はやはり弥生時代後期と奈良・平安時代、中世を中心としたものであり、竪穴式(たてあなしき)住居(じゅうきょ)跡(あと)や掘立柱式建物跡、倉庫(そうこ)跡(あと)が発見されています。これらの遺跡は多少場所が違うもののほぼ同時期に営まれた集落・館跡であり、周辺が各時代をとおして大変住みやすいところであったことがわかります。(本10・11)


扇が丘ハワイゴク遺跡の大きな掘立柱建物跡
(柱の穴が × 個見られます)




扇が丘遺跡群から出土した珠洲焼


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