(画像をクリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。)

  <<前のページへ    次のページへ>> 

C08●堀内(ほりうち)
堀内1〜5丁目
ののいちガイドマップ
 堀内の名は室町時代終わりごろの古文書にみえます。古くは「ほりのうち」と読み、堀ノ内、堀之内とも記されました。(本8)

 かつて常に枯れることなく蒼(あお)く水をたたえた淵(ふち)があり、落ちると死ぬといわれていましたが、明治末から大正の耕地整理で、石を投入して埋められたそうです。(本25)1956年(昭和31)郷村の分割合併の際、野々市町になりました。

 明治(めいじ)八(はち)幡(まん)神社(じんじゃ)は717年(養(よう)老(ろう)1)泰(たい)澄(ちょう)の白山開山した折、宇佐(うさ)八幡(はちまん)(現大分県)の分神を祀って創建したと伝えられ、もとは郷総社八幡宮といいましたが、1907年(明治40)同村の菅原神社と田(たの)尻(しり)の八幡社を合祀して明治八幡社と改称しました。

 菅原神社には、菅原道真(すがわらのみちざね)お手植えと伝えられる大ヒバや、二度咲きの桜がありました。その桜は、春秋必ず開花したので尊重されていましたが、合祀の際に移植され、昭和の初めまでは開花していましたが、今では枯れて現存していません。(本7)


  <<前のページへ    次のページへ>>