一説に、「新庄」は富樫本庄の周辺開発に伴って成立したと見られており、1345年(貞和元年)足利尊(あしかがたか)氏(うじ)袖判下分写にある「加賀国富樫新庄」の地に比定されています。
江戸期の正保郷帳(しょうほうごうちょう)には「下新庄村」として村名があり、寛文(かんぶん)頃までは、泰澄(たいちょう)が建立したと言われる真言宗(しんごんしゅう)寺院(じいん)が存在したという言い伝えが記録されています。
1955年(昭和30)、野々市町・富(とみ)奥(おく)村の合併の際に上新庄と共に現在の新庄となりました。
下新庄の村社は1150年(久安6)以前の創建とされる菅原(すがはら)神社(じんじゃ)で、1906年(明治39)同村の白山神社を合祀(ごうし)しています。(本7・8)
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