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D24●新庄(しんじょう)(上新庄(かみしんじょう))
新庄1〜2丁目
ののいちガイドマップ
 『石川訪古遊記』によれば村の西側に林氏一族の居館とされる上新庄館跡があり、村内「三百田」の水田からは石棺が出土したという言い伝えが残されています。江戸期の正保郷帳(しょうほうごうちょう)には「上新庄村」の村名があり、近代は富奥村に属し、1955年(昭和30)野々市町との合併で、下新庄と共に新庄となりました。(本38)

新庄の街並み航空写真

 集落の南西にある富樫郷(とがしごう)八幡(はちまん)神社(じんじゃ)は、もとは八幡社と称していましたが、1865年(明治8)に現社号に改称し、1907年(明治40)に同村にあった菅原(すがはら)社(しゃ)を合祀(ごうし)しました。神社には、弘法(こうぼう)大師(だいし)が立ち寄ったとき学問の大切さを教え、「学」という字を刻んだとされる立石(たちいし)があり、「弘法の手つき石」と呼ばれています。(本7・23)


Dコース周辺航空写真


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