現在の末松2丁目一帯にあたり、末松村の枝村として記録に残されていますが、現在の町名としては残っていません。『加賀(かが)志(し)徴(ちょう)』という書物には、この地はもともと末松村の領域(りょういき)であったが、垣内(かいち)5〜6軒の家があり、そこを轟村と読んでいたことが記されています。
往時(おうじ)は夜中にキツネやタヌキなどが道行く人々を化(ば)かし、怪異(かいい)をなしていたという言い伝えが残されていますが、現在では耕地整理による美田が広がり、整備された道路とともに美しい新興(しんこう)団地(だんち)「白鳳(はくほう)の里」もつくられています。(本8・18・24・35・38)
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