末松と同様石川郡中奥(なごき)保(ほ)のなかの一村であり、戦前は末松とともに「富奥スイカ」や「ミノウリ」の生産で好評を博していました。『石川郡誌(いしかわぐんし)』によると、この地に末松(すえまつ)某(ぼう)(某―不明という意味)の館跡があり、幕末まで曲尺(かねじゃく)のような形をした堀跡が残っていたそうですが、今はその痕跡(こんせき)を見ることはできません。館の主についても伝承(でんしょう)は残っておらず、詳しいことはわかりません。
上清金と下清金の間にある清(きよ)金(かね)中宮(ちゅうぐう)神社(じんじゃ)(村社)の創立は1492〜1500年頃(明応(めいおう)年間)と伝えられており、もとは中宮神社と称していましたが、 1875年(明治8)現社号に改称しました。また、1906年(明治39)11月1日には八幡社及び菅原社(すがはらしゃ)を合祀(ごうし)しています。(本7・8・20・35・38)
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