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野々市町の歴史年表
  西暦 野々市関連事項 国内事項
縄文(前10000〜前300) 前1800頃 大野大塚遺跡、御経塚シンデン遺跡  
前1700〜前500頃 御経塚遺跡  
弥生(前300〜250) 150〜250頃 押野タチナカ遺跡・高橋セボネ遺跡 200〜邪馬台国 卑弥呼
古墳(250〜600) 300頃 御経塚シンデン古墳群 250頃箸墓古墳
600頃 上林古墳・末松古墳 450頃仁徳天皇陵古墳
飛鳥・白鳳(600〜) 670頃 末松廃寺建立 607法隆寺建立
692 越前国名初見 645大化改新
奈良(710〜)   扇状地中央部の開発進む 710平城遷都
上林・新庄・粟田・三納遺跡群  
平安(794〜) 813〜(弘仁9〜) 東大寺領横江荘 794平安遷都
823(弘仁14) 越前国から江沼郡・加賀郡を分け加賀国設置(加賀・石川・能美・江沼4郡)  
1100頃〜 武士団の台頭と扇状地の再開発始まる林氏・富樫氏  
1152(仁平2) 白山宮が延暦寺の末寺となる 1156保元の乱
1154(久寿1) 林氏、白山宮と対立し、林光家投獄される 1159平冶の乱
1183〜85
(寿永2〜文治1)
林・富樫氏、木曽義仲に従い上洛するも源義経に敗れる 1167平清盛太政大臣
  1180源頼朝挙兵
鎌倉(1192〜) 1221(承久3) 承久の乱 1192鎌倉幕府成立
林氏(宗家)は上皇方(後鳥羽上皇)につき没落し代わって富樫氏が台頭  
1263(弘長3) 富樫家尚、石川郡押野荘に大乗寺創建  
1312(正和1) 地名「野市」の初見(三宮古記)  
南北朝(1336〜92)
室町(1338〜)
1335(建武2) 富樫高家、守護となる 1334建武の中興
1346(貞和2) 富樫家善(押野殿)、押野荘の土地を大乗寺に寄進 1335足利尊氏反乱
1350(観音1) 富樫高泰、高安軒を開く 1338室町幕府成立
1352(文和1) 上林地頭大桑玄猷供物未進のため白山宮と争い、神輿と軍兵が館に攻め寄せる  
1358(延文3) 僧唯性、押野に上宮寺建立 1392南北朝合一
1449(明応8) 蓮如、初めて加賀に入る  
戦国(1467〜) 1486(文明20) 聖護院道興、諸国回遊のさい矢作と野々市で和歌を詠む(回国雑記) 1467〜77応仁の乱
1488(長亨2) 富樫政親、一向一揆に敗れ高尾城で自刃
一揆側の富樫泰高守護となる
 
1545(天文14) 金沢御坊創建  
1570(元亀1) 富樫列晴貞、一向一揆により伝燈寺で自刃
大乗寺、野々市焼き討ち
 
安土・桃山(1573〜) 1580(天正8) 金沢御坊陥落(石山合戦おわる) 1573室町幕府滅亡
佐久間盛政、石川郡の領主  
1581(天正9) 佐久間盛政、後藤弥右衛門に300石を与える  
1583(天正11) 前田利家、金沢入城 1583賤ケ岳の戦い
1601(慶長6) 北陸道に松並木が植えられる 1600関ケ原の戦い
江戸(1603〜) 1615(慶長20) 「宿送の人足伝馬御印書」下付→布市村肝煎・百姓 1603徳川幕府成立
1616(元和2) 加賀・能登で惣検地が行われる(300歩→1反) 1615大阪夏の陣
後藤藤右衛門、押野組の十村となる  
1656(明暦2) 「村御印」下付  
1670(寛文10) 「村御印」改訂  
1678(延宝6) 石川郡諸村名産之品に「野々市煎餅と草履」があげられている  
1766(明和3) 狼により太平寺で男女6人が食い殺される  
明治(1868〜) 1886(明治1) 江戸開城・明治と改元  
1871(明治4) 廃藩置県→金沢県  
1872(明治5) 石川県に改称  
区制実施(行政区域)  
1878(明治11) 郡区町村編成→戸長役場設置  
1889(明治22) 町村制実施→富奥・郷・押野・野々市村誕生 1889大日本帝国憲法発布
大正(1912〜) 1924(大正13) 野々市村→町制施行  
昭和(1926〜) 1955(昭和30) 野々市町、富奥村合併 1941太平洋戦争勃発
1956(昭和31) 郷村一部編入  
1957(昭和32) 押野村一部編入