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page=24 : その後長享二年(一四八八)、富樫政親方に味方したと考えられ、一揆の兵火に遭って社頭の破壊が甚だしく、茅茨の生えるに任せ放題となる。社司には両家があって、布施氏は長享年中断絶し、河崎氏は復興に尽くし今に栄える。(金沢市寺中町) 2 高鞘神社 創立年月は不詳である。富樫氏の支族藤井氏がこの地を治める。ことに藤井重継が加賀掾(官位)に任ぜられ、藤井松磐が加賀権少目に任ぜられたことなどが、「史書」でうかがえる。  藤井の氏人達は本社を崇敬したという。社蔵の野見宿彌の木像は、藤井守安が祈願の為に納めたものと伝えられる。(金沢市藤江北二丁目) 4 八幡神社 創立の年代は不詳であるが、本社の縁起として「この八幡宮の本地仏は(中略)平実盛北国下向の砌、守本尊と成給ふて安宅浦(小松市)に勧請あり、その後富樫家に安置の尊像となり、それより十一屋大藪鎮守と成給ふ(後略) 天正十三年(一五八五)五月 富樫家臣政重」の記録がある。 (金沢市十一屋町) 5 長坂神野社 この神社は、文治二年(一一八六)曹洞宗大乗寺の支房清立坊の鎮斎社として、当国城主富樫経鎌公の建立とされている。  また、加賀守護富樫晴貞が病気平癒を祈願し、社領を寄進したと伝えられている。  はじめは長坂社と称していたが、明治十五年(一八八二)現社名に改称した。(金沢市長坂一丁目) 6 諏訪神社 創立の年代は不詳。守護富樫氏の重臣山川三河守がこの地に館を構えていた時に創設したと伝えられている。(金沢市山川町)
page=24 :7 八坂神社 正応元年(一二八八)富樫家尚が越前(福井県)永平寺より、僧徹通を請じて大乗寺を開いたとき、鎮守として牛頭天王を祠祀したのが本社であると云う。後に大乗寺は今の地に移り、祠堂だけが残ったが付近の村人たちが尊敬し、産土神として仰いだと伝えられている。 (金沢市寺地町) 8 御馬神社 延喜式内の古社である。富樫家国が野々市に居館して以来累代にわたり富樫氏は本社を崇敬したと伝えられている。  「加賀古跡考」には、富樫泰高が当社に稲荷明神を勧請したと記している。(金沢市久安一丁目) 9 馬替神社 創立は詳らかではないが、馬替の地は加賀の守護富樫氏の居館していた野々市と地を接し、高尾城の往き帰りには、必ずこの地を通り社参したと伝えられているほど、加賀守護富